タモリの弔辞、赤塚不二夫の生き方にふれてヨヨヨと泣いた日のこと

手紙

漫画家・赤塚不二夫の告別式で「私もあなたの数多くの作品の一つです」との言葉を捧げたタモリ。

その弔辞が本当に素晴らしく、救われる思いがしたので、今日はそれについて書きます。

赤塚不二夫とタモリについて

赤塚不二夫と聞いて私が思い出すのは、『天才バカボン』や『ひみつのアッコちゃん』。アッコちゃんのコンパクトも昔持っていまして、「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」「ラミパス ラミパス ルルルルル~」だけで、ものすごい語れそうです。

最近では、『おそ松くん』を原作としたTVアニメ『おそ松さん』のブレイクで、若い世代にも広く知られるようになりました。

そんな赤塚不二夫と親交のあったタモリ。彼がお笑いの世界で活躍することになったきっかけは、赤塚不二夫に見出されたことだったそうです。

弔辞によると、赤塚不二夫は出会ったその日に、タモリにこう言ったのだとか。

「君は面白い。お笑いの世界に入れ。八月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むとこがないから、私のマンションにいろ」

ここから、長きにわたる関係が始まります。師弟関係、家族を超えたつながりです。

タモリの弔辞

私が二人のつながりを知ったのは、2008年に赤塚不二夫が亡くなったとき。

タモリは、告別式で弔辞を読みました。

当時も話題になっていましたが、先日改めてその全文を読んで、その素晴らしさに胸が詰まりました。美しくてグッとくる言葉です。

ここでは特に印象に残った部分を紹介します。

まず、元プロボクサーで芸人のたこ八郎が亡くなったときのエピソード。

 たこちゃんの葬儀のときに、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺のとき、たこちゃんの額をピシャリと叩いては「この野郎! 逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流していました。
 あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

身内の葬儀で似たようなシーンに立ち会ったことがあります。同じく出棺のとき、故人をよく知る友人の一人が、「おい、○○! なに寝てるんだよ、はよ起きな~」と泣き笑いの顔で言いました。

このときの光景がぶわっと思い出されて、悲しいような切ないような、でもどこか温かいような、胸が苦しいような、言葉にできない思いが広がりました。

そしてこう続きます。

 あなたの考えは全ての出来事存在を、あるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ち放たれて、そのときその場が異様に明るく感じられます。
 この考えをあなたは見事に言い表しています。
 すなわち、「これでいいのだ」と。

ここが本当に好きです。これを読むだけで救われるような気がします。

すべてを承認してくれる感じ、世界の複雑さを目の当たりにして消えてしまいたくなるような臆病な心さえ受け止めてくれる感じ。

赤塚不二夫という人物の懐の深さがわかるし、美しい弔辞を成立させるタモリの凄さ、ありのままを静かに受け入れる優しさのようなものを感じさせられました。

本当に全文通して素晴らしいです。

最後に

名文に触れると、心が洗われます。そして、いったん立ち止まることができます。

気づくといつも「~しなければ」「こんなんじゃダメだ」と自分を縛って痛めつけてしまうのですが、もっと自分に優しくしてあげなくちゃなと思います。

どうしたら優しくなれるんですかね。

とりあえず「それでいいのだ」で、ありのままを受け入れ、肯定することから始めたいですね。

難しいですね。

それでいいのだ、ですね。
 

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「これでいいのだ!」バカボンのパパステッカーを拝借。

<参考書籍>
樋口毅宏 (2013)『タモリ論』新潮社 pp.29-30

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