片づけをしていたら、押入れの奥の方から日記やメモが出てきました。
前にけっこう処分したはずなのにまだあったのかと中身を確認すると、20年近く前のもの。「○年後の自分」に向けた手紙もありました。
そうそう、しんどいとき未来の自分に向けて手紙を書くことで感情を何とかおさめようとしていたんだよなぁ……としみじみ感慨にふけりつつも、読むのはさすがに勇気がいる。
恐る恐る読んでみました。
むぐっ……これはなかなか厳しい、いや~これを書いたときにはまさか自分が40歳まで生きるとは思ってなかったしさぁ……などと目をそむけつつ、意を決して読みました。
感想。自分は文章力がない、かなり酷いと思っていたのですが、20年前でもわりとちゃんと文章書けてました。もしかして必要以上に自分を下に見ていたのかもしれないと気づかされるなど。
いやただね、「過去の自分が書いた」という前提があるとね、変な声が出てしまうのですね、なぜなんですかねこれ、特に変なこと書いてないのに。ええ。でも、黒歴史としてソッコーで葬らねばならないほどの内容ではなかった。それはよかった。セーフ。
ただ、全然しんどさを乗り越えられてないのに「乗り越えることができた!!」と書いてるのはかなり、何というか、切ないというか、胸が痛いというか、眉毛が八の字になっちゃうよねというか。言い聞かせることで何とかやってきたのだなぁと。実際、当時の自分は本当にそう思っていたのだと思います。社会の要請に合わせて自分で自分を洗脳するのが上手だったので。
あとね、昔のドコモ絵文字が書かれてるのは非常に味わい深くよかったです。あの絵文字好きだったんだよな~。それから、書いてる時間が夜中の3時15分とかね、「寝ろよ!!!」っていう。やはり軽躁状態だったのかなぁと思えてきます。睡眠時間が極端に短かったからなぁ。
さて、別の手紙ではこう書かれていました。
「具体的な事柄を通して、そこから答えを得られる、そのプロセスをひっくるめた生き方が本質的だと考えるに至りました。あぁ、考えを言葉にして伝えるのは非常に難しいですね。こうして、いろいろ考えていると途方に暮れてしまいます。自分の未熟さに。」
本質的かどうかはさておき、お花畑みたいなふわふわしたことばかり言っていても仕方がないというのは確かにそう。わかるよ。たぶん本人的には、これ全然うまく言葉にできてないなってもどかしさがあったんでしょうね。肩をポンと叩いてあげたいな。で、このときの文章は、全体的にローなトーン。抑うつ期だったのでしょう。
改めて、今回読んだ文章全体を振り返ってみると、そんなに過去の自分はトンチンカンではありませんでした。基本的には変わっていない。ちょっと過去の自分を矮小化しすぎていたかもなと反省しました。ごめん、過去の私。
こうした文章は、興味深い波の記録と評価することもできそうです。
で、このメモやら手紙やら、どうしましょう。うーーーん……っつってるから全然片づけが進まないんですよ!涙
