少し前に、漫画『盛りあがらないデート』の感想を書きました。
これ書いてからぼんやりと考えていることがあります。
上記の投稿では、漫画『盛りあがらないデート』や『セトウツミ』を挙げたのですが、ふと思い浮かんだのが『THE 3名様』。
やっぱり大好き/実写版『THE3名様~リモートだけじゃ無理じゃね?~』感想
これも似た何かがあるかも? でも、あれは対話なのかな、違うよな……。
そんなぼんやりについて、今日はもう少し考えてみたいと思います。
『盛りあがらないデート』、『セトウツミ』、『THE 3名様』。
これらに共通するのは、ゆるい空気、ローな空気、ピリピリしない空気の共有といえそうです。
では、なぜ私は、そんな空気に惹かれるのでしょうか?
現代社会に生きる我々のやりとりは、素朴なものが少なくなっているんじゃないかと感じることがあります。いえ、昔はどうだったのか知らないのですが、少なくとも今は「相手を論破する」とか「目的を達成する」とかあるじゃないですか、主導権争いだったり評価を得るためだったり。何しろマウンティングに特化した書籍が出るくらいです。
そんなコミュニケーションは疲れる。消耗する。
翻って、先に挙げた作品にはそれがありません。彼らはみな、相手をコントロールしようとしていない。きっとそれが魅力の源泉だと思われます。
ここでいったん目先を変えると、会話・対話というキーワードで思いつくものがあります。
映画『教誨師』と、精神医療で注目される『オープンダイアローグ』です。
こちらも同じく、相手をコントロールしようとしません。『教誨師』は、あとは死を迎えるだけの死刑囚と対話する牧師の話。オープンダイアローグの肝は、「相手を変えよう、治療しよう」という意識を手放すこと。
ただ耳を傾ける、言葉を交わす。
そうする中で、共鳴が起きる瞬間が訪れます。
よき対話とは「オープンダイアローグ 対話実践のガイドライン」に学ぶ
人と話すとどんないいことがあるのか?
そんな問いはいかにも現代的なのかもしれません。時間効率優先的な問い、「タイパ」と呼ばれる考え方です。そう、目的や意味を求めるのであれば、人とダラダラ話すことは、時間対効率が悪い。「で、要するに何なの?」、そう問われたらおしまいです。
でも、そうじゃない。意味やコントロールを手放した雑談から生まれる何かがある。自分の凝り固まった思考がほぐれる瞬間だったり、視野がぐわっと広がるような刺激だったり。自分一人では辿り着けない場所に行けるのです。
会話や対話を即興演奏のセッションにたとえるなら、ある瞬間にめちゃくちゃ気持ちいい音が響く。
強いて挙げるなら、それがメリット。
もちろん必ずそうなるとは限りません。時間がかかることも多い。だから、「あわよくば、いい音が鳴ったら嬉しいな」くらいの気持ちですよね。
そう、期待しないからこそ生まれる喜び。なのかもしれない?
効率的なコミュニケーションに疲れた今こそ、意味や価値を必要としない時間が必要っぽいです。
そういう、結論を出さない、ゆる~い時間の共有が、関係性を深める土台になることもあるようですし。
ああ、ファミレスでポテトをつまみながらダベることの尊さよ。
はぁ……解放されたいっすねぇ。
