「人は人、自分は自分」と割り切れないのはなぜか?

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「人は人、自分は自分」

そんなアドバイスに納得しつつも「どうやったらそう思えるようになるの?」と言いたくなったことはありませんか?

頭ではわかっていても、モヤモヤした部分はそう簡単に割り切れるものではありませんよね。

そこで、今回は「人は人、自分は自分」と状況を分けて考えるにはどうしたらいいのか、解決のヒントを探ります。

人と比べては「ダメだ……」と落ち込んでしまう人向けの内容です。

「人は人、自分は自分」と切り分けるために必要なこと

長くなってしまったので、答えを先に書きます。

「人は人、自分は自分」と考えるために必要なのは、事実と頭の中のあれこれ(思考感情気分)を整理すること。

今のところ、これが私の考えるベストアンサーです(ベストというよりベターかな)。

思いつくことを紙に書き出してみるだけでも、けっこうスッキリします。

モヤモヤは、事実と感情がぐちゃぐちゃになったとき発生しやすいので、頭の中を整理する習慣が身につけば、クール&スマートに物事を捉えられるようになるはずです(具体的な技法は「モヤモヤ整理法」で紹介しています)。

そして、頭の中のごちゃごちゃモヤモヤを整理した上で心がけたいのは、自分に目を向けること。

  • よそ事に興味を持たない
  • 自分の好きなことに集中する
  • 憧れの対象を持つ

といった態度も良いと思います。

「それで解決するなら苦労しないよ」という思いは拭えませんが、一朝一夕には変えられないので、ぼちぼちやっていくしかありません。

……としか言えないのがもどかしいところなのですけれど。いやはや、人の心は難儀なものです。

では、ここからは「なぜ『人は人、自分は自分』と割り切れないのか?」という話をしていきたいと思います。

割り切れない人の話を聞きながら考えたこと

あるとき、「つい他人と比べてしまってね~」とため息をついている人の話を聞きながら、感じたことがありました。それは、

「『人は人、自分は自分』と割り切れないのは愛が深いからなのでは?」

ということ。

そのとき考えたことを順番に(できるだけ整理しながら)書いてみます。

「人は人、自分は自分」と割り切れないのはなぜか?

思いつくものを挙げてみます。

  • 人と比べて判断するのがクセになっているから
  • 自分と他人を同一視する傾向があるから
  • 自分が欲しいものがそこにあるから

一つ一つ見てみれば、必ずしも悪いこととは言えなさそうです。

では、なぜこれらがマイナスに働くのでしょうか。関連する考えとして、心当たりがありそうなのは、例えばこんなもの。

人と比べて判断するのがクセになっている

  • 「不合格」の烙印を押されることを恐れている
  • 劣等感を刺激される

自分と他人を同一視する傾向がある

  • 他人事を自分事として考えやすい
  • 境界線が引けない

自分が欲しいものがそこにある

  • 求めている対象を過剰評価している
  • 皆が求めるよう煽られていることも?

ここでは特に「境界線が引けない」に注目です。

割り切れないのは愛が深いから?

「愛とは何か?」

これまでに私が一番納得した答えは、新フロイト派の精神医学者サリヴァン先生による定義。

サリヴァンは、相手の満足と安全が、自分自身のそれと同じ重要性をもつようになるのが愛だと考えました。つまり、相手と自分の間に存在していた境界が取り払われた状態です。
(『図解でわかる深層心理のすべて』p.94)

相手と自分の間に存在していた境界が取り払われた状態が「愛」。

とすれば、「境界線を取っ払いやすい人は愛が深い」と言うこともできるのではないでしょうか。

別の言葉に置き換えると、境界を取っ払いやすい人とは、

  • 他人事を自分事として考えやすい人
  • 共感性が高い人
  • 「人は人、自分は自分」と割り切れない人

など。

愛が執着に変わるとしんどい

しかし、「愛が深い」と言えば聞こえは良いですが、「愛」にはさまざまなニュアンスがあります。手元の辞書『明鏡国語事典』を引いてみましょう。

一般的な意味合いとして使われるのは、「価値あるものを大切にしたいと思う、人間本来の温かい心」。あるいは「人を慕う心」。

そしてもう一つ注目したいのが、「(仏教で)ものに執着する心」。

執着。この言葉、なにか妙にしっくりきます。

執着とは、ある物事に心が深くとらわれて離れないこと。先ほど挙げた例でいくと、あの人が持っているものが欲しいとか、人より優位に立ちたいとか、そういうことで頭がいっぱい。他人のアレコレとらわれて、心が離れなくなってしまう状態。

つまり、価値あるものを大切にしたいと思う気持ちは、時に、自分を苦しめる「執着」となることもある。

「大切にしたい」という思いが強すぎるのも考えもの、というわけですね。

……このあたりはちょっと心当たりがあります。

目指すべき姿

でも、じゃあ「人は人、自分は自分」と割り切れる人は愛がないのか? と言ったら、決してそんなことはありませんよね。

むしろ、自分と他人との間に距離を保ち、互いを尊重し合うことこそ、目指すべき在り方だと思います。

では、それを叶えるためにはどうすればいいのでしょうか? 自分と他人との間にうまく境界線を引く方法を考えてみましょう。

自分と他人の間に境界線を引くには?

ここで、最初の話に戻ります。

「人は人、自分は自分」と考えるために必要なのは、事実と頭の中のあれこれ(思考感情気分)を整理すること。

例えば「ストレス軽減!人間関係を改善するレッスン」で紹介したワークのように、変えられる部分と変えられない部分を分けてみると、自分の聖域を意識できるようになってきます。

以前「図太くなるための3つの作戦【人間関係のストレス・嫌がらせ対策】」で紹介した本の言葉を借りれば、自分と他人の不干渉地帯を確定することが大事だということです。

「俺はお前じゃない」「お前は俺じゃない」と口にするだけでも、同一視にストップをかけることができます。

「興味がない」で解決!?

さらに効果を高めてくれそうなのは、次の3つの態度。

  • 興味を持たない(冷静になる)
  • 自分に集中する
  • 憧れの対象を持つ

興味は勝手に呼び起こされるので、簡単になくすことはできません。でも、感情に溺れず、クールに物事を見つめることならできそうです。興味を持たない=興味のない状態に近づけるという感じで。

興味がなければ、誰が何をしようがどうでもいい。これってかなり最強だなと思います(好ましいかはわかりませんが)。

「興味がない」で思い出すエピソードがあります。何人かと干支の話をしていたときのことです。その中に、自分の干支を知らない人がいました。今年の干支も知らなければ、十二支も全部知らない。「え、なんで? 年賀状とかいろんなとこに書いてあるじゃん」と言われて、その人は言いました。

「興味ないから」

なんか、シビれちゃいましたね。その場は「いやいやいや、興味ないとかじゃないでしょ!」と皆ウケていたし、私もビックリしたんですが、一方で、この人は自分の興味に集中しているんだなと感服しました。徹底的にムダ(自分にとって不必要なもの)を削ぎ落としているんだな、とも。

実際、その人は時間があれば、興味の対象に向かっているし、その極めっぷりは周囲から「雲の上の人」と言われるほど。

上に挙げた3つをこの御仁は体現しているのです。

私も、ぜひ、この感覚を持ちたい。

ちなみに、この方は「人生の不安を軽減?!みうらじゅん・辛酸なめ子の愉しいお悩み回答」で紹介した「断りの匠」と同一人物です。

まとめ

「人は人、自分は自分」と考えられるようになれば、ラクになることは増えるけれど、それがなかなか難しい。

じゃあどうすればいいか。

  • 「私は愛が深いのかも」と思う
  • 事実と感情を整理する
  • 自分の興味に集中する

これが今回の答えです。

自分と他人を同一視するのはよくないけれど、他人の痛みを自分の痛みとして考えられることは決して悪いことではないし、時に必要とされる力でもあります。

だから、そこはしっかり肯定しつつ、変えられる部分は調整しつつ。

嫌な気分に支配されないための問題解決技法(モヤモヤ整理法)を参考にしながら、くり返し練習して、上手な身のこなしを学んでいきたいですね。

 
「それは興味ない」
「これが私の生き方」

そう胸を張って言えるようになれたらなァ……。

 
<参考書籍>
齊藤勇 編著 (2005)『図解でわかる深層心理のすべて』日本実業出版社

2 COMMENTS

あたま

更新ありがとうございます。
私は、幸せというものを気にしないことにしています。人より幸せ、もしくは、不幸せ、比べてしまいますから、それよりは、納得の行く日日を積み重ねていくことを心がけています。

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あじさし

他人からの刺激に耐えられない。世間からのも同じ。
だから、それを避ける、逃げる。
これは、望ましくないことなんでしょうか?
孤独。他人など、世間などどうにでもなれ。
でも、一人では生きていけないこともわかっています。
他人と自分の折り合いをつけるところ、他人も自分も心地よい、とまでいかなくてもお互いがお互いを認められるところを共有できたらよいのでしょうね。
少し考えたいです。
ナミさんってすごいなと思いました。

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