「考えさせられた」「何を?」「わからないけど、何かを感じました」という印

「考えさせられた」という言葉はできるだけ使わないようにしています。

なぜなら、「考えさせられた」と言うことで、考えた気になって、それ以上考えを深めないことが多いから。

現在進行形の「考えさせられる」にしても、そこまで大差はありません。よっぽどでないと考えない。すぐに忘れてしまう。せいぜい「終わった話ではない」と認識している程度。

そんな感じなので、できるだけ「私は何を思ったのかしら?」と問うようにしている……と言いたいところですが、自問して考えているとは言いがたいですね。そんなぼんやりした自分にもどかしさを感じることばかりです。いや、本当にぼんやりしているともどかしささえ感じないのですが……。

同じような話を前にも書いていますが(「考えさせられた」って何を考えさせられたの?と自問する)、これは「考えさせられたわ~」と言っている人の態度が鼻についたという愚痴ですのでね、あまり偉そうに語れるものではないのです。

 

というわけで「考えさせられた」と言わないことが、自分なりのせめてもの抵抗(?)なのですが、「考えさせられた」としか言いようがないなぁと思うこともあるんですよね。

でも、「何を?」と自らに問い返してみれば、そこに答えはない。何か考えた方が良さそうなことがあると感じたものの、具体的に何かを考えたわけではなく、もやんとしたものがあるだけ。つまり、よくわかっていない。

「考えさせられた」というより「感じさせられた」「何かを感じた」というのが正確でしょうか。「考えずにはいられなかった」という言い回しも今思い浮かんだんですが、これもまた「何を?」と問われれば、そこに答えはありません。

でも、「何を?」という問いに答えられないからといって、考えていないことにはなりません。なぜなら、考えるためには感じることから始めなければいけないからです。「考える」は「感じる」を含んだもの。小林秀雄の本を読んでそう思ったのでした。

小林秀雄の言う「考える」について考える

だから、「考えさせられた」というワードは、何か考えが浮かぶ予兆、きっかけとして大事にすべきものなのかもしれません。

「うまく言えないけど、何かを感じて、改めて考えた方が良さそうだと思った」
「改めてじっくり考えてみたい」

そんな状態を表すブックマークだと思えば、有用です。じゃんじゃん使ってスクラップしておけば、いつか何かとつながるかも。

とはいえ、「後で読む」タグをつけたブックマークを後から読み返すことはないという自身の傾向から考えるに、「改めてじっくり考えてみたい」事柄を後からじっくり考えることはおそらくないでしょう。

となると、やっぱりその場である程度は考えてみないと、考えた気になって終わっちゃうんだよな~と前に書いたのと同じことを思ったのでした。

「何が?」
「なぜ?」
「どんなふうに?」

この問いに答えるのって難しいですよね。感想文を書くのが難しいのも同じこと。

お手軽映画感想文の書き方(を知ってもやはり書けない)

訓練が必要なのかなぁ? でもそれは言い換えれば、訓練すれば私でもある程度はできるようになるってことなのかな? ならちょっとチャレンジしてみたい気もする。

と、ちょっとだけ前向きな気持ちが生じたので、この芽を踏みつぶさないように気をつけます。

 
モヤモヤしたものを、モヤモヤしたものとして、そのままの状態にしておく。

そういう態度がまずは大事だと思います。たとえうまく言葉にできなかったとしても。

 

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