ナミうつブログ

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満たされないのはなぜだろう?幸福感の心理学と個人的なぼやき

 

クローバーとメモ

「つらいこと、たくさんありました。でも、今はとっても幸せです」

私もそういうことを言える日がくるのかな~と思っていたのですが、全くその気配がありません。

「あのとき死ななくて本当によかった」
「今はつらくても必ず『生きててよかった』と思える日がくる」

これも100%同意はしかねる状況です。

もちろん、今もこうして生きていられる自分は恵まれていて幸せだなとは思います。すこぶる気分が良いときに「生きるのも悪くないな」と感じることもあります。死ななかったから味わうことのできた「よかった」もたくさんあります。でも、本当に「生きててよかった」かどうかはわかりません。生と死を比べることはできないので当然ですが。

まぁ心から「よかった」と思っていたら、こんなことは考えないですよね、幸せな気分は心地よいので、いつまでもその感覚に浸っていたいし、その状況を冷静に観察しようとは思いません。これって「なんのために生きているんだろう?」と問うてしまう状況と似ていますね。(参考:【スナックなみ】こんなにつらい思いをしてまで生きる意味って何ですか?

というわけで、前置きが長くなってしまいましたが、今日は「幸せ」をテーマに書いてみます。ぼやきだけじゃつまらないので、心理学とからめてお話します。参考書籍は『ワークショップ 人間関係の心理学』です。

どうすると人は「幸せ」と感じるようになるか?

幸せの条件とは一体何でしょうか?

心理学では、原因と結果をわかりやすくモデル化します。

主観的幸福感を規定する要因は?

お金、社会的地位、健康、人間関係、学歴、性格、自尊心、愛、個人的達成、容姿、文化など。

これらの要因のうち、人を幸せな気持ちにさせるものは何か、データを集めて因果関係をチェックしていくわけですね。

心理学は置いておいて、こうやって整理すると、自分に必要なものは何かわかりやすくなります。

「なんでこんなことになっちまったんだ」
「私はどこで間違えたんだ」

そう嘆きたくなったとき、これらの要素を並べてみることで「なるほどね」「これが足りてないから満たされないんだね」と納得できます。

幸福感にもっとも関連する要因は、

  • 愛と結婚
  • 仕事
  • 性格要因

だそうです。

ついでなので、他の要因がどれくらい幸福感と関連しているかも紹介しておきます。

(1) 幸福感と関連しない要因
①お金
②年齢と性別
③子どもの有無
④知性
⑤身体的魅力
⑥田舎に住むこと

(2) 幸福感とやや関連する要因
①健康
②社会的、対人的活発度
③宗教
④個人主義文化と集団主義文化

(3) 幸福感にもっとも関連する要因
①愛と結婚
②仕事
③性格要因

「お金や学歴や容姿が関係していないなんて意外だよね」というのが「常識的理解」を踏まえたコメントらしいです(著者はやや疑いを含むような書き方をしていますが)。

快楽主義 vs 幸福論

心理学が扱う「主観的幸福感」には、対立する2つの考え方があります。

  • 快楽主義的見地:喜びを得つつ、苦痛を回避した状態を幸福(ハピネス)と考える立場
  • 幸福論的見地:生きる意味を充足し、自己実現に焦点を当て、人々が十全に機能している状態を幸福(ウェルビーイング)とする立場

私なりの言葉に言い換えると、快楽主義的見地は「俗っぽい感じ」「わかりやすい幸せ」というイメージ。幸福論的見地は、自己実現とか哲学的な想念とか、高尚っぽいものを至上として語っていそうな人たちが好きそうな考え方です(偏見)。

この2つの心理学研究の立場、

快楽主義 vs 幸福論

で、互いの意見を戦わせているわけですね。

それぞれの批判を簡単にまとめてみます。

快楽主義的見地への批判(「幸福論」派の言い分)

  • 快楽、喜びをたくさん享受し、人生の苦を回避できたからといって、幸せであるとは言えない
  • 「快=安寧」ではない
  • 「金銭に執着する人はそうでない人よりも幸福感が低くなる」という研究結果がある

『やれたかも委員会』*1 みたいだなってのが最初の印象なんですけど。確かにその通りです。私の考えもどちらかと言えば、こっち派かな?

幸福論的見地への批判(「快楽主義」派の言い分)

  • 物質的、即物的、俗物的な欲求を満たしたいのは人々の正直な願いだよ
  • これらの欲求があったからこそ、今の社会があるんじゃないか
  • バカにしちゃあいけないよ

こちらはなぜか落語家のイメージで再生されたんですけど。で、こう言われると、こちらの言い分にも納得です。2つ目は自分で勝手に付け足しました。

結論:「互いに補い合っている」と考えるのがよい

以上の論争に決着はついていないようですが、ある研究者が言いました。

「両方、正しい」
「互いに補完的な立場であると考えるのがよい」

それ言われたら「確かに」ってなりますよね。私もその主張に賛成です。

心理学が扱う「主観的幸福感」とは

説明しそびれましたが、心理学が扱う「幸福感」は、客観的事実ではなく、個人の感じ方。その人が「幸せだな」と感じているか、「不幸せだな」と感じているかという点に注目します。文字通り、主観的な幸福感です。

この主観的幸福感は、世間一般的な「幸せ」とイコールではありません。焦点を当てるのは、あくまでも個人の感じ方。正しい・正しくないは関係なし。常識も必ず疑います。つまり、人に何と言われようと本人が幸せだと思えばそれでOK。

以前紹介した「幸せになる14ヶ条」は、この主観的幸福感の研究をもとに示されたものです。

いろんな要因が絡んでいるから一言では言えないですよね

主観的幸福感に関する一連の話題で興味深かったのは、幸せを感じやすい人と感じにくい人がいるらしいこと。

確かに、いくら本人が望む最高のものが手に入っても、みんな同じように「幸せ~!」と感じるわけじゃないんですよね。感覚の度合いも表出の仕方も人それぞれ。「幸せだぁぁぁ!!!」と叫び出したくなる人もいれば、「幸せ」と小さく微笑む人もいる。感じやすさにも個人差がある。当たり前なんだけど、つい忘れてしまいます。「その人が心から望むものを手に入れられたら、(私が想定する)幸福感を得られるはずだ」と思い込んでしまって。

「人それぞれ」と言ってしまったら話は何も進まないのだけれど、結局その結論が一番落ち着きます。「それは間違っている!」と指摘されない安心感があるからですかね。

「『今はとっても幸せです』と言える人生を生きてみたい」という思いを持ちつつも、自分の人生に納得はしているので、それほど嫌がっているわけでもないような。

何だかよくわからないまま、漠然と日々を過ごしています。
 

<参考書籍>
藤本忠明 東正訓(編) 2004 『ワークショップ 人間関係の心理学』ナカニシヤ出版 pp.201-217

本書では、快楽主義的見地、幸福論的見地、それぞれの立場でつくられたテスト(個人差を測る尺度)が紹介されています。

私も実際にやってみたところ、私のウェルビーイング度(幸福度)は、まぁ悪くないみたいです。本書に掲載されている大学生のデータとの比較では、他者関係の項目を除き、平均値を上回っていました。

どうやら私は、生きる意味を充足し、十全に機能している状態らしいです。なんか色々投げやりなんですけどね。まあ、それを一つの価値として納得してるからOKということなんですかね。よかったよかった(?)。
 

*1 何度読んでも『やれたかも委員会』のノリで再生されます。

cakes「やれたかも委員会(吉田貴司)」でも一部読めます。

至上の幸福を感じることができたかもしれないあの瞬間を反芻しては悶々とする。それこそが人生の宝。

本当に大切なことは何か教えてくれる漫画です(?)。

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Comment

  1. あたま より:

    更新ありがとうございます。
    あくまでも私個人的なことです。
    ここ最近は、煮たまご とフルーツゼリーを食べている時が至福の時。

  2. 伊藤利佳 より:

    人と比べる知恵が付いた時から、自分の不幸バロメーターが上下したり?
    なら、snsとかが、その格差に拍車を掛けてる?
    逆にね。傍から見たら、ビックリする様な不幸な運命でも、本人、意外と平気に生きてるかも・です。蟻とか蜂とかミミズみたいに。
    不幸の度合いなんて、関係ないですね、
    受けて立つ人間が、どう、受け取って、この先を生きていくか?ですしね。
    鼻血で死にそうになる人も居ますからね・みたいなもんで(笑)
    蟻とか蜂とかミミズみたいに生きて死にたいんです。、

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