前回、にんじんしりしり作りまくってるよという話を書きました。
にんじんしりしりは「無限○○」系レシピに分類されるようです。
元祖は「無限ピーマン」。
はじめて「無限ピーマン」と聞いたとき、無限に収穫できるピーマンを想像しました。
採っても採っても生えてくるピーマン、それ最高じゃんと思って。
違うとわかっていても、無限に生えてくるピーマンを想像してしまう。
どうしてだろう。
にょきにょきにょきにょき、次から次へとピーマンが生えてくる。
早く採って~と言わんばかりのピーマン。つやのある緑色の実がぶら下がっている。
そんな愉快な無限ピーマンの木。
食べる段になっても同じことを思ってしまいます。
「無限に食べられる~」と思うほどおいしいから「無限ピーマン」。
それはわかる。でも、どうしても無限に収穫できるイメージが勝る。なぜでしょう。
そして、違うとわかっていても言いたくなる。
「ピーマンは食べたらなくなっちゃうから無限じゃないじゃん」
野暮なことを言ってはいけません。
そう言うはなから無限収穫ピーマンを想像してしまうのでした。
つい先日も「永遠」というワードに触れたのですが、こういうよくわからない言葉が好きです。
「永遠」も「無限」も広がりがすごい。
「世の中に永久運動は存在しない」とかいう話もよくわからなくて印象に残っています。
物理が弱いのです。しっかり勉強してこなかったことが悔やまれます。いや、今からでも遅くないんですけど。
「自然数の無限」を「アレフ・ゼロ」という言葉で表す、とかもありました。全然わからない。
西田哲学の「一点が無限大の円を構成する」というメモには、「?????」とハテナがいっぱいついていました。実にはてなです。マジで全然わからない。MajiでKoiする5秒前。そんなフレーズを口走ってしまうほどに脳がゆるゆるになってしまいます。
要するに無限ピーマンは宇宙ということでしょうか。
「無限に食べられる~」と思うほど美味しい、その瞬間その人が思い浮かべた無限は、間違いなく無限なのでしょう。
無限といえば、夢幻もいいですね。
ポルノグラフィティの「mugen」も好きだなそういえば、ととりとめのないことを考える師走。
ぼんやりしているうちに、月日は走り去ってゆきます。
年を取るほど時間経過を早く感じるのは、思考の速度が遅くなるからなのかもしれません。