孤独について蛭子さんの言葉から考える

孤独には“よい孤独”と“悪い孤独”がある。

蛭子能収さんの本『ひとりぼっちを笑うな』で示されていた見解です。

前回の投稿:『ひとりぼっちを笑うな』感想

本書で主に語られていたのは、“よい孤独”について。ひとりぼっちでいることは全然悪いことじゃない、孤独に過ごす時間から生まれる素晴らしいものはたくさんあるんだという話。

一方、心を蝕む孤独についてはあまり触れられていませんでした。が、印象に残る言葉はありました。

例えば、「自分は特別な人間なのに疎外されている」と思うから孤独を感じるのでは? という示唆。言われてみると、なるほど確かにそういう部分はあるかもと思います。

というのも、これを聞いた瞬間に思い浮かぶ人物がいたからです。その人は、私より交友関係が広く、承認を多数もらえているように見える。にもかかわらず孤独を訴えている。そしてどうやら、その人の心中では「自分は特別な人間なのに!」という思いが燻っている様子。だから、孤独を感じてしまう……?

でも、それだけですべてを説明はできないですよね。ほかに目を向けてみれば、「自分は特別な人間だ」と考えていなくても、孤独を感じてしまう状況はいくらでもありそう。

それで、あれやこれや頭の中でぼんやり考えていたら、ズバリな言葉を見つけました。

自分の自由を担保する「節度のある孤独」と、命を脅かすような「要注意な孤独」との境目は、孤独が永続化していくような、誰も自分に関心を寄せていないというような感覚を自身が感じ取った時。
孤独が呼び寄せる「鬱のサイン」精神科医の斎藤環氏に聞く(2ページ目) | AERA dot.

誰も自分のことを見ていない。そう感じたとき、本人が望まない孤独に足を踏み入れることになる。

なるほど、これならうまく説明できそう。

不遇な人生で、否定の連続、文字通り誰からも十分に承認されなかった場合。あるいは、承認されたことはこれまでにあったが、本人が気づいていない場合。あるいはその他、どんな場合があるかな……。

その人の生まれつきの性質によっても左右されそうですよね。寂しさを感じやすい人はより孤独を感じやすいだろうし、人からの影響を感じ取りにくい人は承認を得られたことにも気づきにくくて孤独を感じてしまうのかもしれない。

前に、孤独な人々はお互いに似ていないという記事を見ましたが、このあたりも関係してくるのでしょうか。

孤独な人は「世界の感じ方」が孤独でない人だけでなく他の孤独な人とも異なっているという研究結果 – GIGAZINE

自分の努力ではどうにもならない。つながりを持つことが難しい、困難な状況に陥りやすい心の有り様がありそうです。

というか、他者といることをストレスに感じやすい人が、人とのつながりを持つって、この時点でムズいですよね。心理的な負荷のかからない、ほどほどのつながりを見つけようってことでしょ……うーむ。

蛭子さんだったら何と言うだろう。

他人のことをあれこれ考えたって仕方ない、どうするかは本人が決めること、答えは自由なんだから。そう私の中のプチ蛭子は言いました。

話がぐちゃぐちゃのままですが、とりあえず今日はこのあたりで。また考えます。

 

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