どうして人を見下すの。
見さげる。見おろす。下に見る。
相手を侮る態度、ほんとに無理なんですけど。
他人を無能よばわりする人とかさぁ、その存在が耐えられない。
と、愚痴愚痴言うとどうなるか。
ブーメランが飛んできます。
「そういうお前はどうなんだ」
そうです、私も同じです。自分にだってそういう態度があるのです。自分では、人を無能よばわりなんてしていないと思っていますが、無意識にやっていることがあるのではないかと疑っています。人を見下す態度に敏感なのがその証拠なんじゃないかと。
自覚しているところで言えば、私はしょっちゅう自分のことを無能よばわりします。
だって無能だもの。少なくとも低能だものとか言って。
人を見下す態度はいけません。自分を見下す態度もいけません。
「ほんとに無理なんですけど」「その存在が耐えられない」言うてますけどね、それ自分もやからね? って注意されるんですよね。自分の中に住んでるエセ関西弁のオバちゃんに。
でね、「私はゴミのような人間だ」もよく言ってしまうんですよね。
すぐゴミって言っちゃうんです。よくない口癖。直しましょう。
「私は○○な人間だから」ではなく「私は○○なところあるから」と言ましょう。具体的に言いましょう。そうすれば、全体がゴミということにはなりません。「この部分はよくないよ」という言い方は的確な指摘になりそうです。
そう。とりあえず、ゴミと言うのをやめましょうね。
と言ってるそばからゴミって思っちゃうんだよな。どうしたらいいの。と、グダグダをくり返しているんですけれど。
思うに、ゴミって語呂が良いからいけない気がするんですよね。言いやすいんです。吐き捨てるのに最適って感じで。
あとね、ネガティブになるのは、睡眠が足りないときです。あと、体調がすぐれないときも必要以上に否定的になりがち。だから、寝ましょう。今日は早くお布団に入りましょうね。
はい、「ねむみ大敵、気をつけよう」。
あーでもね、朗報もあります。最近は、ゴミとか低能とか言ったとしても、そこに自分を責めるニュアンスはあまりないんです。
ここ数年は「めんどくさい」「どうでもいい」が勢力を増しているので、否定する力が弱まっているんですね。
だから、ゴミだ無能だ低能だと言われても、「はい、そうですけど何か問題でも?」と開き直っている。「そんなこと言うまでもない、わかりきったことだよ」という前提ができあがったと2年前に書いているので、どんどん厚かましくなっているということでしょうか。年をとると図々しくなれると噂に聞いていましたが、本当なんですね。やったぁ~!
どうしたら肯定的になれるのかな。肯定できることをやればいいんでしょうね。がんばったと言える過ごし方をする。それができたら苦労しないって話ではありますが、日々何かしらはやっているはずなので、よかったところを見つけて認める。そうすると「生きててエラ~イ」になっちゃうんですけど。あはははは。
やっぱりね、どうしても人と比べてしまうんですね。これはもう仕方ないですね。
それで最後は、淡々とやっていくのみ、という答えに行き着くのです。
結局はそんな感じでだましだましやることになるのです。
「自分に優しくする方法」と検索したら、きっと何らかの対処法が出てくるので、それを実践するといいでしょう(他人任せ)。
「私はゴミ」と卑下したくなったとき思い出すことでふれた「そんな、無能とかゴミとか言うなよ……」な映画。
なみさん、こんにちは。コメントは久しぶりですが、いつも見ています。
とても助けられています。僕にとっては、支えともいえるブログです。だから無能とかごみなんかじゃない。それを伝えたかったのです。
「道」いい映画です。涙が出ます。