不倫のニュースを見聞きするたび「元気があっていいですね」と言いたくなる、という話を前回書きました。そのときに思ったこと。
「そうか、私は死んでいるんだなー」
生ける屍というやつです。肉体的に生きているだけで、精神的には死んだも同然。
もちろんこれは大げさな表現なんですけれど。
エネルギッシュな皆さんの行動に思いを馳せていたら、そう感じたのです。
「そうか、じゃあしょうがないな」と納得して落ち着きました。
自由を求めて戦う人の姿を見ると勇気づけられます。
同時に、「戦わなければ弱者は死ぬ。じゃあいいです、死にます」と思う。違うとわかるけれども、そう思ってしまう。
そして考えます。
「もし拷問されたらどうしよう」
肉体的精神的に痛めつけられ、死ねないまま苦しい状態が続く。嫌だ。恐ろしい。
これを回避するにはどうしたらいいか考えます。
乏しい想像力で考えます。
これまで映画で観た数々の拷問シーンを思い返します。
そのうちしんどくなります。
すると、「拷問されることに比べたら、今の人生楽勝だな」と思えるのです。
「免れえたさまざまな災厄を描き出す」を実践しているといえるでしょうか。
シオランおじさんが言っていた幸福に生きるコツです。
我々は幸福を冷遇している。「よかったことを数えましょう」の変化球です。
これまで生きてきた中で、つらかったことを順繰りに思い出せば、今自分は幸せだと思えるかもしれません。ってこれ自傷行為になりそう。しんどそうだからやめておこう。
またボーナスタイムがくるかもしれないし、空でも眺めながら待つことにいたしましょう。
そして、つらくなってきたら、厄災タ~イム!
いまここにある幸福を思い出しましょう。
(災厄と厄災の違いは何でしょうか……「災厄ってさいやく~」と思ったことのある人はどれくらいいるでしょうか……)