Scrapboxに書きとめる日記が楽しくて、すっかり習慣になったという話を前回書きました。
楽しいことはいいことだ。というわけで、大方はポジティブな気持ちで続けているのですが、あれもこれもメモしようとすると時間を食うし、見た目を整えるなど凝り始めてしまうこともあって「目的と手段が逆転」状態に陥りがち。
そんなとき浮かぶのが、「この時間を他のことに回した方がいいのでは?」という思いです。
果たして、これらの記録(メモやら日記やら)は本当に必要なのでしょうか。
通院を必要とする私にとって、体調の把握は重要です。Scrapbox日記の他に、気分体調変化や睡眠リズム等の記録もあわせて取っています。これらを定期的にまとめ、通院日の前日に全体をざっとチェックするのです(と書くと立派っぽく見えますが、実際は簡単なメモです)。
振り返りができないとちょっと困ります。別に先生にすべて報告するわけではないから、記録がなくても問題はないのですが、自分的にちゃんと確認したいという気持ちがあります。伝えるほどではなくても、毎日記録することで見えてくる傾向はいちおう把握しておきたい。分析力の低さが課題ではあるのですが。
そう考えると、記録をつける必要はある。ささいなメモが気分の変化を知らせてくれることもあります。日記やログをつける時間を他に回すこともできるけれど、よりよい生活を送るために、日報的なものがあるといいよね、という回答です。
では、どこまで記録すればいいのか。
問題は、どうでもいいところに熱中してしまうこと。見た目をきれいに整えるとか、情報を詳細に並べるなどしてしまい、ほどほどのところで止められない。
きっと時間の制約を設けるといいのでしょう。だって、忙しいときや、体調を崩したときには、最低限のことだけに絞れるんだから(無気力で記録ゼロになることも多いですが)。
・目的を見失わない
・力をかける場所を間違えない
・どうでもいいところに熱中しすぎない
これが大事。
まあScrapbox日記は、何でもありの記録帳ゆえ、趣味も実益もごちゃまぜ。そこが問題を生んでいるのかもしれません。
「必要だから書く部分」と「楽しいから書く部分」を分離できない。
だからといって、必要事項のみ記入する形にすると、つまらなくなって続かない。
こりゃ悩ましい。
って別にそんな悩むほどでもないんですけど。
ただ、目的と手段が逆転してしまうのはよくないよねと思っただけです。
まあでも、こうやって考えてみると、そこまで深刻な本末転倒ってわけでもなさそうだから、まあいいか。と、なあなあに済ませる感じになりそうです。
いずれにしても、時間制限は多くを解決してくれそう。
「集中力を高める方法」として、時間制限と目的の明確化が挙げられていたことを思い出しました。
「嫌なことでも思わず集中しちゃう裏ワザ」(掃除+音楽) を試してみた | ナミうつブログ