目が見えなくなったときのために、歌と琵琶の練習をしておく

ありがたいことに、私には視力があります。視力、すなわち、「物体の位置・形状などを見分ける目の能力」です(明鏡国語辞典より)。

能力があるのはいいことだけれど、最近はこれを酷使して、目が疲れてしまうこともしばしば。自覚のないままに、デジタル画面を見続けてしまうことも多いと思われます。

このままじゃいけない。もっと視覚以外の器官もバランスよく使っていかないと。楽器の練習でもしようか。そう思っていた矢先、ジャストフィットな話題に出合いました。

作家・詩人の石牟礼道子さんと詩人・伊藤比呂美さんの対話をまとめた本書。伊藤さんが石牟礼さんに尋ねる形をベースに、死にまつわるあれこれを率直に語り合っています。

この本の中で「おぉ!」と目が見開いたのは、パーキンソン症候群を患う石牟礼さんが自身の症状について語るパートです。

体が不自由になって思うように動けない。背骨が言うことをきかない。小さな字が書きにくい。本を読むのが不自由(目の症状は加齢による現象だと医師に言われたとのこと)という話の流れから。

伊藤 そうなんです。この商売で、目が見えなくて本が読めないというのは、私はちょっと想像がつかないんですけれど、どんな……。
石牟礼 私も想像がつかなかった。おや、こんなふうになるんだな、と思って。本が読めなくなるな、字が書けなくなるな、どうしようと。歌でも歌って、お弟子さんとって……。琵琶は持っているし(笑)。
伊藤 琵琶は練習なさいました?
石牟礼 してないけど。
伊藤 しなくちゃ(笑)。絶対いいですよ。
(「パーキンソン症候群――読めなくなる、書けなくなる」より)

あー! やっぱり楽器だよね! と思わず嬉しくなりました。私も同じこと考えてたよーって。琵琶という発想はなかったですけどね。「琵琶、それも乙だな」といろいろ想像を膨らませました。

で、そんなふうに喜んでから改めて思うのでした。目が見えなくて本が読めない。字が書けない。これは本当にかなりキツいなと。でも可能性としてはあり得る。人生何があるかわからない。さらにパーキンソン症候群の症状もなかなかにしんどそうで、同情する気持ちと他人事ではないと怯える気持ちが合わさってシリアスな気分に。

とはいえ、本書全体を通して、石牟礼さんの死への向き合い方はとてもナチュラルで素敵だなと穏やかな気持ちにもなりました。

 

そんなこんなで考えてみた目が見えなくてもできる趣味。

目を使わず楽しめること
・音楽(聞く、発する、鳴らす、揺らす)

視覚以外を使って味わいたいこと
・匂い
・手触り
・風味、舌触り

ここまで書いたところで、ふいに瞑想が最強なんじゃないかという考えが浮かびました。

歌と琵琶と瞑想、なんだか趣がありますね。

私は音痴なので、奏でる方向で何か探っていけたらいいのかなと思案中です。

瞑想は……なかなか習慣になりませんが、取り入れていけるといい感じになりそうなので、やれたらやってみる感じでいきます(多分やらない)。

 

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