自分の嫌な部分をさらけだせたら/光浦靖子『お前より私のほうが繊細だぞ!』感想

なぜ人は悩むのか。

人の悩みとは何なのか。

ある人は言いました。

全ての悩みは「お前より私のほうが繊細だぞ」からきてんだな、と。

なるほど。言われてみるとそうかもしれない。対人関係における悩み、特にいらだちは、相手の鈍感さに怒っていることが多いよね。

と各所でうんうん頷きながら、お笑いコンビ・オアシズ光浦靖子さんの本『お前より私のほうが繊細だぞ!』を読みました。

『TVBros.』連載のお悩み回答コラム「脈アリ?脈ナシ?傷なめクラブ」から抜粋、加筆・修正した本書。毒と笑いと恨みと自虐、悲喜こもごものフレイバーを楽しめます。テレビの情報誌をめくってふと目にとまるコラム、週に一度のちょっとしたお楽しみ、そんな気分で読むのが最適。掲載された2010年1月~2013年9月に自分が何をしていたか、世相とともに思い出しながら読むと、また違う味わいが生まれます。

と、ざっくりとした紹介はこんな感じで、以下、思ったことを書きます。

 

まず、自分は光浦さんと考え方が似ているんじゃないかと思っていたのですが、意外とそうでもないんだなという発見がありました。いや、考え方というより感じ方? 両方かな?

回答を読んでいても、「あら、私の思ったのとちょっと違うな」と感じることが多くて。でも、言葉を反芻しながら考えてみると「なるほど確かにそうかもしれない」という答えに至ることが多い。相談者に対しての印象もそうだし、たとえで挙げた対象について語るときもそう。

見る角度が違うのか、受け止めるときの構えが違うのか、土壌が違うのか。結果的に同じものを見ているんだなと納得するんだけれど、「そうそう、わかる!」より「ん?」から始まることが多い。

これは生きた時代によって変わる部分も大きいのかもしれません。特に10代20代を過ごした時期。

ここ10年で本当に価値観は変わったよなぁと思います。ジェンダー意識にしてもそうだし、見た目いじりは面白くないという雰囲気も醸成されてきていますよね。本書で多く取り上げられている性愛についてもそう。バブル時代の価値観や恋愛至上主義の考え方も強固なものではなくなりました。光浦さん世代に比べると私はだいぶラクな時代を生きさせてもらってるのかなと思います。この調子で、今後どんどん良くなっていってほしいものです。野蛮人から文明人へ! ガンバロウ!

(本書収録のコラムは10年以上前のものもあるので、今の光浦さんはまた違った考えを持っているかもしれないし、10年前の自分が読んだら違う感想をもったかもしれない。そのあたりのズレをチューニングすれば、やっぱり「似てる」と思うのかもしれないなと今書いたものを読み返して思いました。)

 

さて、今の自分は、コラム執筆当時の光浦さんと感じ方が思ったより似ていないと気づいたわけですが、それはそれとして、共感するところは多かったです。私はおそらく彼女の、屈折してぐにゃぐにゃした、あるいは映し鏡のように延々と続く、時に徒労にも感じられるような考え方、そうならざるを得なかったバックグラウンド込みで共鳴しているのかなと思いました。

共感だけではなく、言葉選びや話の運び方もやっぱり面白くて、光浦さんが相談者や関係者の心境を推しはかり、想像をどんどん膨らませて、最終的に「そんなこと相談者は一言も言ってないよ?」というところまで到達し、そのころには相談内容はどうでもよくなっている、みたいになっているのも楽しいし、失礼な投稿に対して、スマートで気の利いた意趣返しをしていると痛快で嬉しくなります。相手の受け止め方により答えが変わる玉虫色の回答は秀逸で、思わず読み返しました。

多くの回答に恨みがこもっているところがどうにも共感してしまうというか、自身も痛みを覚えながら親しみを感じてしまうというか、でもそんなことを思うなんてなんておこがましいと自分の図々しさにウンザリするとか、それをこうやって書いてしまういやらしさみたいなものを持て余してしまうとか、そういう感じが延々と続く。決して清々しいものではない。けれど、決して嫌でもない。

そうやってごちゃごちゃしている自分を改めて自覚させられる『お前より私のほうが繊細だぞ!』。読んでいるうちに自分自身の歪みを思い知ります。

なぜだろう。何かを伝えようとするといつも自分の嫌なところをさらけだしてしまう。

この一言で、私は彼女のことが好きだなと改めて思うのです。

名回答(「やはぎが持ってるんだから間違いないと思います」等)が満載の本書。押しつぶされれば、にゅるっと苦肉の策が出てきますよ、という光浦靖子先生のお言葉を胸に、今日も何とか生きてゆきたいと思います。
 

 

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