こちらには1万回同じ話を聞く用意がある、という想像

「何回も言ってごめんね」と言いながら、同じ話をくり返す人っていませんか?

すでに聞いた話を延々とされるとつらいところがありますよね。

でも、私も同じ話を何度もしちゃうことはあるし、何度もくり返してしまうほどその人にとって印象深いことだったんだと思えば、(そうなのか~)と素直に頷ける場合もあります。心を開いて話してくれることは嬉しいという捉え方もあります。

ただ、同じことのくり返しは単調になってつまらない。そこで、あるとき、ちょっといつもと違う返しをしてみました。

「……って、何回も言ってごめんね~」
「いいよ、何回言っても。2回でも3回でも、4回でも5回でも……10回でも20回でも、100回でも1000回でも、1万回でも10万回でも100万回でも……」
「そんなに言えないよ~アハハハハ」
「アハハハハ」

この頃、数に凝っていて、思わず反応しちゃったんですよね。「何回も(例えば?)」とスイッチが入って、言いながら「1万回同じ話を聞くってどんな感じだろう……」と漠然と思いを巡らせていたらなんか楽しいなと。

もちろん本当に100万回同じ話をされたらノイローゼになるというかそんなことは不可能なんですけどね。ある意味「やれるもんならやってみろ」みたいな煽り要素も入っていると捉えることもできるので、ちょっと取り扱いには注意が必要。

 
で、実際にこの返しをした後、しばらくしてまた同じ話がくり返されたときのやりとり。

「……あ、ごめん、また同じ話しちゃって」
「ううん、大丈夫、というかまだまだ足りないよ、たったの3回だよ、1万回には到底及ばない。もっと言わないと」
「あや~そんなに言えないよ~(笑)」
「(笑)」

百回、千回、万回、言われることを想像したおかげか、このとき本当に「2回や3回じゃ全然物足りないぞ?」という気分になっていたんですよね。これは不思議だなと自分でも驚きました。

物は考えようというか、捉え方、見る角度を変えると気分って変わるんだな~と改めて感心した次第です。

 
もちろんこれはいつでも誰にでも通用するやり方ではありません。ある程度気心知れた関係でないと相手の気分を害する可能性が高そうだし、時間と心に余裕がないと、こうはいかないですよね。

例えば、「早く帰りたいよ~」と思っているときに「それでね……」と同じ話をくり返されて「あ゛ーーー」とフラストレーションを溜めた経験、これまで何度あったことでしょう。何と言って切り上げたらいいか悩ましいところです。自分の立場が弱いときには特に難しい。

 
そんなこんなで、今後使うことはないかもしれませんが、一つの案として(?)俎上に載せてみました。

実際に口にする機会はなくとも、「1万回でも聞いてやる用意はあるぞ」と自身をキャラ付けすることで、少しはストレス(もうそれ何回も聞いたよ~ウンザリ)を軽減できるかもしれません。

というか、ただ果てしない数の世界に逃避しているだけですかね……?

まあいいか ∞

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