すごい人と比べて、自分を貶めるルーティン

猫と本

ネットには名文家がたくさんいます。

そういう人の文章を読んでいると、読んでいることを忘れます。完全にその世界に入り込んでしまうから、活字を目で追っている自分の状態というか存在を忘れてしまうのですよね。

そして、すべて読み終えた瞬間に感心する。感動する。唸らされる。

同時に毎回思います。自分はほんとにうんちだな。ゴミみたいな文章をネットに放流して。

でも、有り難いことに、こんな拙い文章を読んでくれる人もいるし、「おまえはゴミを人に手渡そうとしているのか」と言われたら、全力で「違う!」と言います。

出力された結果はどうであれ、私にとっては、今の自分にできる精一杯を出したもの。雑巾をしぼるように、ぎゅうぎゅうぎゅうと絞り取った貴重な汁。汁ってなんか汚いな。汁じゃなくて……そう、エッセンス。私にとっては、大事な大事な、分身とも言える言葉なのです。

しかし、いくら自分が大切にしている宝物でも、他人が見ればただのゴミってことはよくあることで。30過ぎた女が、道ばたで拾ったビンのフタを嬉々として拾い、宝物だと満面の笑みで語ったら、けっこうな割合で哀れみの目を向けられそう。

それでも、宝物は宝物なので、誰に何と言われようが関係ない。人の目を気にする必要はないのです。誰に迷惑をかけているわけでもないのだから。そう思い直して、今日も私はキーボードをぺちぺちします。うんちみたいに見えるダイヤモンドを生産するのです。って、そんなもんあるか。でも、ダイヤモンドの原石はピカピカしていないらしいから、まぁそんなようなニュアンスだよ、みたいな感じで。

あーでもやっぱり、私の身から出たものという意味では、ほぼほぼうんちなのかもしれないな。汚いな。臭いな。生きている証ですね。

というか、今どき道ばたにビンのフタなんか落ちてないか。いや、だからこそ、貴重なのか。わからぬ。

 

■本日の学び

ここまで喋って気づくのは、

  • すごい人と比べて自分を貶める必要はない
  • そんなに人の目ばかり気にしなくて大丈夫
  • 自分が楽しむことが大事

ということなのでした。結局いつもと同じこと言ってるね。

私は今日も元気です。
 

【うんちという言葉を使う理由】
「私はダメ人間」が口癖の人に伝えたい私的大発見

2 COMMENTS

あたま

更新ありがとうございます
人の目を気にして生きるなんてつまらいことさあ、、、
いけないルージュマジック。わかりますかね。

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アジサシ

今日も更新ありがとうございます。
最後の一文を読んでうれしくなりました。
吉田拓郎の歌で「元気です」が頭に浮かびました。

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