「私はダメな人間だ」
そんなふうに思うことはありますか?
自分のことを責めるのは良くないけれど、それは向上心の表れだと思えば、必ずしも悪いことではありません。
それに、ちょっとしたガス抜きとして「俺はもうダメだ」と嘆くことも、時には必要な気がします。
ただ、「ダメだ」が癖になると、自分がいかに劣った人間か証明する技術ばかりが向上してしまいます。
それは非常に良くない。
というわけで、自分を責めがちな人は「ダメだ」を控えなければいけません。
で、先日ちょっとした発見をしたので、今日はそれをお伝えしたいと思います。
「ダメだ」が口癖だった私に与えられた天啓です。
他人の基準で考えると「自分はダメ」としか思えない
私は「ダメだ」が口癖でした。
昔に比べると最近は「ダメだ」と言ったり思ったりすることは少なくなりましたが、それは「ダメであることをいちいち確認するまでもない」という意識に変わったからに過ぎません。わざわざ言わなくても知ってるよって。
あとは、他人の評価基準より自分の評価基準を大事にするようになったことも大きいです。
つまり、一般的な基準に照らせば、自分はダメ寄りの人間だけど、自分的にはダメダメ連呼するほどダメじゃないと思っているよ、って。
何をもって「ダメ」と判断するか、その基準を明示するのは面倒なので、ここでは省略します。雰囲気でよろしくお願いします。
というわけで、「世間」に意識が向いたとき、私は「ダメだな~」と思います。
「ダメだな~」と思ったとき、私の中で悲しさが増しているのがわかります。
このときの心を擬人化したら、きっとその心は泣いています。可哀想に。
そのイメージを浮かべれば、「自分を責めるのやめなきゃ」と思うのですが、現実的なアレコレに浸食されていると、ダメだとしか思えないことが多々あるので、よろしくないです(ダメだからもっと頑張ろうという前向きな気持ちもたまにはあるから、これ自体が悪いこととは言えないのですが)。
自己卑下が得意な人間による世紀の大発見
あるときふと思いました。
「あーあ、私ってうんちだな」
なぜかわからないのですが、「ダメだな」の代わりにこの単語で嘆いていました。
そして、気づきました。
「いつものガックリする感じがない!」
比べてみるとそのニュアンスの違いがよくわかります。
「私はダメ人間だ」
「私はうんち人間だ」
大違いです。
「うんこ」ではなく「うんち」であるところもポイントです。
私の中で「うんち」のイメージは、赤ちゃんのウンチ。どこか可愛らしさが伴っています。
一方の「うんこ」。こちらはゴリラが投げるイメージです。どこか勇ましさがあると思いませんか?
おそらく、このイメージが強かったため、「あーあ、私ってうんこだな」と思わなかったのではないかと考えられます。
ゴリラ(のうんこ)のような強さ(硬さ)は私にはない、という思いです。
だからといって、赤ちゃんのような無垢さもないのですが、これはゴリラの強さと対になる弱さといったところなのでしょう。
スッキリ感を得られる言い換えワード
自分のことを責めるとき、「ダメ」という言葉以外に、「ゴミ」「カス」「クズ」といった言葉を使うことがあります。
こうして書いてみると、本当にひどい言葉なのですが、自分を罵倒するのが上手になると、実にスムーズにこういった言葉が出てきます。
しかし、これも先ほどの言葉に言い換えてみると、印象がずいぶん変わります。
「私はゴミカスだ」
→「私はウンチだ」
「私は人間のクズだ」
→「私は人間のウンチだ」
どうでしょう。汚れと分類される点は同じでも、どこか可愛らしさや滑稽さがありませんか?
実際、我々は体内に便として排出される前のものを溜め込んでいるわけで、この宣言は事実を述べたに過ぎないとも言えます。
みうらじゅんさんは「そもそも自分の考えなんて、鼻くそみたいなものです」と言っていました。*1
この言葉は「何もできない自分に失望したときの7つの対処法」でも紹介したのですが、本当にまったくその通り。
「私はうんちだ」と言ったときの気持ちは、これと似た感覚なのです。
「そうだな」ってめちゃくちゃ納得してるんですね。
だから、「ダメだ~」と肩を落とすことがなくなるにとどまらず、スッキリ感を得られるのです。
最後に
もしあなたが「私はダメ人間だ」と日常的に口にしてしまうのならば、一度試してみてください。
「私はうんち人間だ」
きっと納得感が違うはずです。
ツン、ツン
からの
ほ~れ、ほ~れ
更新ありがとうございます。
今年もあと2カ月ちょっと。
なんとか生き延びました。
この調子で年越します。
ナミさん、ユーモアの天才❗です。(~o~)久し振りに笑いました。この暖かくて、ほっとした気持ちで今日は寝ることにします。自己卑下する自分が嫌で、結構真剣にナミさんのブログを読んでいたら、、私はウンチだに出会いました。笑