過去の自分、条件の違うものを比べない

雄大な自然、ブランコに乗って楽しむ子供

他人と比べて「はぁ、自分はダメだな~」と落ち込むことはありませんか?

すごい人と比べると、自分の足りないところが目について、劣等感が生まれます。

だから、他人と比べるのはやめよう。比べるなら、他人と比べるのではなく、過去の自分と比べよう。「以前の自分に比べたら、こんなに成長している」と自分の良いところを認めよう。

そんなふうに考えていました。

参考:人と比べて落ち込まないために私が心がけている5つのこと

でも最近、過去の自分と比較することも、それほど良いことではないのかも? と思いはじめました。

過去の自分は、今の自分と同じではありません。

今より元気で、体力があって、健康で、エネルギーに溢れている自分。それに比べて今の自分は……。

と、あまりポジティブに受け止められないこともあるんですよね。

おそらく、うつ症状を経験している人の多くが、この感じを経験しているのではないかと思います。「病気になる前の自分はもっとできたのに」「こんなこともできないなんて……」という嘆きです。

もちろん比較することで、ポジティブな答えを見出して、気持ちが上向くこともあります。できないことができる喜びは、「明日もがんばろう」という気持ちを抱かせてくれます。それはとても素晴らしいことです。

うつの場合でも、「無理をして体調を崩してしまったけれど、立ち止まって考える時間ができた。自分のいけなかったところがわかったし、自分にとって本当に大切なものは何か気づけたからよかった」と考えれば、過去と今を比べることには意義があります。

ただ、私の場合は、「昔はもっと頑張れたのに」と考えてしまうことが多くて、これって意味ないなと思うようになりました。

最近は「過去は過去」と割り切れるようになってきたから、落ち込みっぷりも改善されたのかなと感じています。あとは「もっと成長しなければ!」という思いが薄らいだことが大きいような気がします。

 

昔、理科の授業で、タンポポの対照実験をしました。試験管にタンポポを入れてどうのこうのするやつです。

確か、光に当てるタンポポと、光に当てないタンポポを比べて、光合成が行われているか観察しました。

このとき教室では、竹刀を持ったおじいちゃん先生が「条件を揃えるんだぞ!」と何度もくり返していました。

光を当てる・当てない以外の条件(量や温度や時間)を揃えないと、何によって効果があらわれたのかわからないからです。

それを忘れたら、竹刀でバシッとやられます。

おじいちゃん先生のふるまいはともかくとして、自分についても、比べるなら条件を同じにしなければ、適切な答えを得ることはできません。

でも、自分という存在は同じでも、条件を揃えるのって難しい。

数年前と今じゃ、環境も体の状態も違いすぎます。
 
まだ昨日と今日の自分なら比べやすいけれど、いきなり体調を崩してしまえば、昨日と今日はまったく違う状況になってしまって、比べられません。
 
テストの点数や仕事のノルマのように、数字に置き換えられるものなら、まだ比較しやすいですけどね。自転車に乗る練習で「昨日より上手になった!」とか。

今の自分のあり方について、何となくの雰囲気で比べそうになったら、「条件は揃ってる?」と自分に問いかけてみると、落ち込みを少しは減らせそうです。

なんかしんどいのは、他人や過去の自分と比べているから。

相対的な喜びではなく、絶対的な喜びを見つけよう。

そう考えると、気持ちがラクになるかもしれません。
 

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