自分なりに頑張ろうともがいても、なかなかうまくいかないことがあります。それを「努力不足」で片づけられてしまうのは悲しいことです。
病気を患い、これまでのような生活が送れなくなってしまったとき、あるいは、漠然とした息苦しさを感じているとき、希望を持って生きていくことがとても難しく感じられます。
うまくいかない原因を見つける難しさ、行き詰まったときのつらさ、できないことに対するプレッシャーと周囲の目。
今日は、それらの重苦しい空気の中で過ごす大変さについて書いていこうと思います。
走れない自分を執拗に責め続けていた
中学・高校の頃、長距離走が苦手でした。どれだけ気合いを入れても死ぬほど苦しい。ひどいときには、グラウンド1周さえ満足に走れないほどでした。
持久力がない自分を不甲斐なく思いました。
少しでも改善させようと、毎晩、公園に走りに行きました。ペース配分やフォームを自分なりに調べて実践して、メンタルを強くする方法も考えて、運動が得意な人にうまく走るコツを聞いて。走れないながらも、必死に練習をくり返しました。
それでも、やっぱりダメでした。
ある日、学校でぶっ倒れました。
病院で検査をしたところ、貧血だと言われました。
点滴をして、薬を飲みました。
通院治療を続けて1~2か月経つ頃には、問題なく走れるようになりました。
「気合いが足りないわけじゃなかったんだ」
「運動神経の悪さが原因じゃなかったんだ」
地獄から助け出された気分でした。
「努力が足りない」では解決に結びつかない
「なんでそんなこともできないの?」
「努力が足りないんじゃない?」
周囲のこんな反応に、泣きたくなったことはありませんか?
結果だけを見て、頑張っている・頑張っていないを判断することはできません。痛みや苦しみを同じように感じることはできないので仕方ないことではあるのですが、何でもかんでも本人の責任にしてしまうことは、問題解決の近道にはなりません。それどころか、うまくできなくて悩んでいる当人を追いつめてしまうこともあります。
もちろん努力しなければ身につかないことはあるし、「頑張れ」というエールに励まされることもあります。
ただ、「努力が足りない」という言葉によって、解決への道筋が見えてくることは少ないように感じます。
うまくいかない原因は何か?
どうやったらうまくいくか?
何をどう変えるか?
精神論に頼らず、考えていきたいところです。
原因を突き止めることは難しい
貧血エピソードを思い出すたびに考えます。
もし、貧血治療を受けることなく、低い数値のまま過ごしていたらどうなっていただろう?
「できなくてもいいんだよ」「無理のないペースで」というスタンスで活動を控えていれば、派手にぶっ倒れることはなかったかもしれません。でも、貧血に気づくのは遅れたでしょう。
あるいは、「私にはできない」と考えて、普通に走ることを回避するようになったかもしれません。本来は走れるだけの力が備わっているのに。それは好ましいことではありません。
だからといって、倒れるまで走り続けるのも違います。
「どうしようもない」
これが私の率直な感想です。
原因に気づくことができなければ、対処のしようがありません。倒れるまでわからない。知らないことは意識しようがない。
何だかんだ言ったって、すべて結果論。後からならいくらでも言えるのです。
正しい答えにたどり着けるか否か
うつ病のような数値に表れない症状はどうしたらいいのでしょう? あるいは、頭痛や腹痛、慢性的な不調は?
例えば「○○治療を受けましょう」という正解があったとして、この答えにどうやってたどり着けばいいのでしょうか。
正しい答えにたどり着くためには、いかに情報を集められるかがカギとなってきます。
本やネットで調べる?
人に聞く?
家族や周囲の人に聞いてわからなければ、心身の不調は病院で相談することになるでしょう。どこに相談すればいいかわからないときには、健康相談窓口を利用するという選択が考えられます。
でも、誰に聞いてもわからないこともあります。行き詰まって、痛みに耐えるしかないことも少なくありません。
希望が見えないのはつらいことです。この状態にある人はどうしたらいいのでしょうか。
答えが見つかるまで探し続ける? 諦める?
その道ほどを思うと、暗澹たる気持ちになります。希望を持ち続けることは、エネルギーを要することです。
生きづらさを訴えると批判される雰囲気
言葉にならないつらさを抱えている人にとって、希望を持ち続けるのは大変なことです。
「生きづらさ」と一言で括ると見えにくくなってしまうのですが、そのつらさの中にも必ず何らかの原因があって、足りない部分を補ったり、環境を調整したりすることで、多少なりとも苦痛を和らげることができるのではないかと思います。
でも、ここまで書いてきたように、漠然としたつらさを一発で解消する方法を見つけるのは難しい。しかも、つらさを口にするハードルもとても高く感じられます。
なぜなら、「なんでそんなこともできないの?」「努力が足りないんじゃない?」と言われてしまう恐れがあるから。
もちろん互いを思いやって寛容なコミュニティを築こうとしている人はたくさんいます。私自身もたくさんの優しさに助けられていて、ありがたいなぁと思うことが度々あります。
でも、殺伐とした雰囲気の中で他者に否定的な態度をとる人がいることも事実で、そういう声に怯えてSOSを発せない人もいるのではないかと思います。「世間」のような実体のない無言の圧力が、息苦しさを生じさせることもあります。それに加えて、悩みを抱えている当人の、悲しみに満ちた思考が深まった結果、生まれる不幸もあるでしょう。
ヘモグロビンが正常値を大幅に下回っているのに「私は甘えているだけだ!」と息を切らして走っている、そういう人がたくさんいるように思えます。
理想としては、「病院で貧血治療してきなよ」と声をかけたいところです。でも、実際には、そういう解決策がないことも多いし、現状の見極めが難しいので、せめて「あなたは十分がんばってるよ」というところに目を向けていけたいと思います。少しでも息苦しさを和らげて、ちゃんと呼吸ができるように。
答えが見つからず途方に暮れたときは
走れない自分を執拗に責め続ける人に伝えたいのは、「走れないのは努力が足りないからじゃなくて、血が足りないからだよ」ということです。
言うまでもなく、これは例え話で、私の貧血エピソードのように簡単に解決しない問題はたくさんあると思います。でも、「努力次第」という精神面ばかりに目を向けた結果、本当の原因を見落としてしまうことがあります。
最後にもう一つ。似たような話を思い出しました。中学生の頃、クラリネットを始めた友人がいたのですが、なかなか上達しなくて悩んでいました。先輩に相談しても「練習が足りない」と叱り飛ばされるだけ。でも、実は、そのクラリネットの管にヒビが入っていたんです。誰が吹いてもキレイな音を出せない楽器を前に悩んでいた友人の気持ちを思うと、もう十何年も前のことなのに切なくなります。
「あなたの努力不足ではない」
そこから問題を見つめ直すことで、解決への糸口が見つかるかもしれません。
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あまりの辛さにここに逃げて来ちゃいました。
ここがあってホント良かった。
まだ読む記事決めてないけど、どこかに必ず、生きていく元気になる言葉があるので探して元気出して頑張ります。
あー!!辛いよ~!;;
って言える私はまだ頑張れるよね…!w
いつもありがとう。