ADHDという言葉をご存知ですか?
これは「注意欠陥多動性障害(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)」の略語で、発達障害の一つと言われています。
発達障害はちょっと見てわかるものではないので、本人や家族も認識していないことが多々あるようです。
そのことで、小さい頃から叱られて育ってきたり、思うように結果を残せないことが自分を責める要因となって病気につながることがある、らしく……。
うつ病だと思っていたのにADHDだった!? | apital(朝日新聞の医療サイト)
こちらの記事によると、「うつ病の治療のため受診した人の16%にADHDの症状がみられた」という研究報告があるそうです。
研究について詳しくはわかりませんが、感覚として「なんで私はできないんだろう」と悩むことが多ければ自信を失ってしまうでしょうし、そのことで人に責められてばかりだとなかなか前向きに考えるのは難しくなりますよね。
「仕事をがんばらないと自分はおしまいだ」
「完璧でいないとみんなに嫌われてしまう」
「失敗したのは自分のせいだ」
こういう思いを抱えて生きていくのは非常につらいことです。
“隠れADHD”を発見?! 大人のADHDチェックリスト
先日読んだ本に、大人のADHDチェックリストというものがありました。
大人のADHDチェックテスト
- 何をしても満足感が湧かない。
- 考えをうまくまとめることができない。
- 何か取りかかる際に時間がかかる。
- たくさんのことを同時にしないと気がすまない。
- 相手の状況を考えないでしゃべってしまう。
- 刺激の強いもの(新しいもの)を求める。
- 疲れたという感じが乏しい。
- 本を読んでいても目移りしてしまう。
- 直感的に考えてしまう。知的である。
- 他人に比べて優れた部分がある。
- 切れやすい。待てない。
- 衝動性が強い(衝動買いをしてしまうなど)。
- くよくよし始めるとエンドレス。
- 安全性に乏しい。
- 何かをし終った後に落ち込む。
- 落ち着かない。
- ギャンブルや仕事に没頭する。
- 自尊心に不安を感じる。
- 自己観察(復習)ができない。
- 以上のことが本人だけではなく、家族にも見られる。
(『仕事がしたい! 発達障害がある人の就労相談』より)
このリストだけでADHDだとは判断できませんし、診断を下すには専門医の総合的な意見も必要です。
ただ、難治性のうつ病で、この中に思い当たる特徴がある場合、可能性として一考の価値はあるかもしれません。
実際に、抗うつ薬の効果をなかなか実感できずにいた患者さんがADHDと診断されたことで元気を取り戻したというケースもあるそうです。
参考:抗うつ薬や睡眠薬が効かない…“隠れADHD”に悩む人が増えている
ADHDの主な治療法は、精神療法やカウンセリング、薬物治療。適切な治療を行えば、症状は落ち着き、日常生活も問題なく行えるようになるとのこと。
うつ病の原因を特定することは難しいですが、悩みを少しでも軽くするためにいろいろなアプローチ方法を探ってみることは何らかの形で役に立ちそうです。
うつ病とADHDに関する研究
うつ病治療をしている人の中にADHDの症状がみられる人がいたという研究結果の他にも、ADHDに関する報告がいくつかあります。
ちょろっとググって目についたものを挙げてみると、
・発達障害の子どもは障害のない子どもに比べてうつ病になりやすい。
参考:うつ病になりにくい子を育てたい
・ADHDの子どもを持つ母親はうつ病になる危険性が高まる。
参考:ADHDの子どもを育てているお母さんはうつ病にかかりやすいのか?
これらの結果を見て思うのは、「こういうことが苦手なタイプ」って知ってたら、そんなに自分を責めずにすんだかな? ということ。
本来苦しまなくていいところで苦しんでいる人がいるかもしれないと思うと、何とも切ない気持ちになります。
サボっているわけでもないし、気合が足りないわけでもない
発達障害にしても、うつ病にしても、やる気の問題じゃないんですよね。
むしろ本人は頑張っている。
「なぜできないんだろう?」
「なんて私はダメなんだろう」
そうやってできない自分を責めて、何とかしようと必死に闘っている。
この感じ、うつ病になる前にも経験したことがあります。
学生時代の部活動の話。トレーニングのために外周を走るのですが、私は全然走れなかったんです。半分もいかないところでゼィゼィ息が上がってしまって。持久力をあげるために近所のランニングコースで練習したり筋トレしたりするのですが、まったくダメ。
「なんで走れないんだろう?」
「私ってほんとクズだな」
そう思ってへこみました。が、あるとき部活中に倒れて病院で検査をしたら貧血と判明。治療後は問題なく走れるようになりました。
「私が悪かったわけじゃないんだ」と苦悩から解放されたときの気持ちは今でもよく覚えています。
同じように(していいのかわかりませんが)「発達障害」という診断によって救われる人は多いような気がします。
できなくても「いいんだよ」
まずは知ること。
どんなことにも通じますが、これが大事ですね。
まだまだ発達障害については勉強が必要ですが、今回ADHDを少し調べてみたことで自分の考えを改めなければいけないなぁと痛感しました。
例えば、「普通は……」「常識でしょ?!」という言葉が誰かを苦しめているかもしれないこと。
「できないこと=悪、ダメ」とは言い切れないこと。
もっと知ろう。
「いいんだよ」って言える優しい関係を築きたいから。
そのためには、どうしたらいいかもっと踏み込んで考えていかないといけないですね。
<参考サイト>
・発達障害情報・支援センター
・発達障害 | みんなのメンタルヘルス 厚生労働省
・ADHD(注意欠如・多動性障害)に関する情報サイト | 日本イーライリリー株式会社
<参考書籍>
梅永雄二 (2010)『仕事がしたい! 発達障害がある人の就労相談』明石書店
こんにちは、はなです。
過去の記事へのコメントすみません。
現在の御返事の件は理解しております。
その上でメッセージをさせてもらいます。
長くなりますが読んでもらえたら幸いです。
長年通っていた病院を、昨年10月に変わりました。
私は不安障害と思っていましたが、それすら診断されず発達障害である、そして「病気ではない」とハッキリ断言されました。
卒倒してしまうかと思いました。
発達障害は子供さんなら障害であるけど、大人になると個性や性格の問題のような気がしたので、
「じゃあ私が悪いんだ」「もう病気のせいだと自分を責めることを救うことも出来ないんだ」と絶望しました。
正直、病気だと言われた方が楽だと感じました。
休めないのです。言い訳が見つからないから。
失礼な言い方で申し訳ありません。
そんな風にいまでも思っています。
今は自分にも全てにも許せなくて、
出来ないことを延々と責めたり
考え片をいつまでも変えられないことにも責めて、めちゃくちゃになっています。
正直に話してくれた医師にはじつは感謝しています。
薬もいろいろと調整しています。
もう責めたくありません。
そろそろ身体も限界です。
出来ないくせに、楽しむなんて許せない、
そんな縛りでもうヨタヨタです。
私はいったいなんなのか、深い闇夜でさ迷っています。
また桜が咲く明るい季節がやってきます。
私の心境とは180°逆の世界。
辛いです。