「○○は甘え」という言葉について、ちょっとした発見がありました。タイトルがそのまま答えで、「甘え」を「イヤ」「キライ」に言い換えると責められてる感が和らぐし、問題点を受け入れやすくなるよというお話です。
「甘え」という言葉にモヤモヤしている人は、何か共通する気持ちが見つかるかもしれません。
「甘えは罪」という呪い
「うつは甘え」
この言葉がすごくイヤでした。抑うつ状態に陥った自分を全否定されている気がして、私は生きてちゃいけない存在なんだと思い知らされるようでした。でも、何とかしなきゃともがいている自分もいて。そんな私を認めてほしいという思いもありました。
この言葉に苦しめられるのは、自分自身が「それは甘え」「ダメ」と思っているから。だから、人にそう言われると「やっぱり私は甘ったれのダメ人間なのだ」と確信して落ち込みます。反対に「甘えてなんかいないよ」と言われても「そんなことはない」と素直に受け入れられない。だって、自分をよく知る自分が「甘えである」と考えているのだもの。
実際、「○○は甘え」という言葉で批判する人はいます。でも、頭ごなしに決めつける人が大多数というわけではありません。なぜみんなに責められているように感じるかというと、自分がそう思っているから。「私は甘えている」という前提で考えるから、周りがどんなにフォローしても「甘え」につながる成分を探し出して「ほらやっぱり甘えだ!」と主張する。
そうして、自分を責めるわけですが、責めることによって赦しを得たい部分もあって。
こんなに自分を痛めつける私を助けて。罪に見合った罰を受けるから、どうか私の存在を認めて。私を見捨てないで。
こんなふうに意識して自分を責め立てるわけではないのですが、かつての自分をふり返ってみると、こういった心理が働いていました。そして、「つらかったね」「大丈夫だよ」という言葉を求めている自分に気づけば、そんな甘えた自分が許せず、全否定する。
結果、ひどく傷ついて心はボロボロ。なのに、自分を罵ることをやめられない。だって、自分に優しくするなんて甘えだから。
「それは甘え」と言いたくなる瞬間
長い間、「私は甘ったれのダメな人間だ」と自分を呪っていたのですが、「甘え」とは何か考えるにつれて、そういった思いは薄れていきました。もちろん今でも「私は甘ったれのダメな人間だ」と思っています。でも、そのことで必死に自己否定することはなくなりました。ダメであることを受け入れたと言いましょうか。
人に対しても「それは甘え」と思うことはほとんどなくなりました。その人にはその人の事情があるのだから、「甘え」という言葉で一刀両断にすることはできないなと。
そもそも「甘え」とは何なのか私は理解できていません。よくわかっていないのに、「甘え」という概念で考えようとするのが間違っていると気づいたわけです。
が!
やっぱり「甘え」と思うことはあるんですよね。そう思ってしまったとき、とても後ろめたい気持ちになります。自分のことは棚に上げて偉そうに、おまえ何様だよって。
だけど、思ってしまったものは仕方ないので、そういう気持ちになったとき、なぜそう感じるのか考えてみました。
その結果わかったのは、
- その人のことが好きじゃない
- 自分勝手なふるまいがイヤ
- 私の気持ちを無視している
その人の言動や態度が不快だから、批判的な気持ちになる。「甘えるな」はその不快感を表した言葉。それが本当に甘えかどうかはさして重要ではありません。それより好きか嫌いか、私や周囲の人のことが見えているか否か。
完全にダメだろと思われる人でも、その人のことをキライでなければ、甘えとか関係なく、どうしたらいいか考えます。「甘え」で片づけたくなるのは、その人に好意を持てないから。
そう気づいたら、少しスッキリしました。
刺々しい「甘え」を丸くする言い換えフレーズ
【甘える】
相手が許してくれるだろうということを期待して、節度を超えた行動をとる。(新明解国語辞典第五版)
「甘え」という言葉は批判的なニュアンスで使われることが多く、子供が母親に甘える、恋人に甘える(ラブラブな雰囲気)などのふるまいを「甘え」という名詞形で表現することは少ないように感じます。
「甘え」は相手を批判するための道具にすぎない、「ダメ」「クソ」「クズ」と似たような使い方と考えてもいいかもしれません。相手は駄目でも糞でも屑でもない。そう言いたくなる程にひどい、気に入らないというだけで。(本当に駄目な奴もいるという言い分もあると思いますが)
ここで「○○は甘え」をもう少し詳しく、別の言葉に置き換えてみましょう。うつを例に考えてみます。
=「●●さんの△△な態度がイヤ」
=「『うつだから~』と言う●●さんがキライ」
=「●●さんが仕事を休んでいるために私がしんどい」
「甘え」という言葉を使うことによって、「私は正しい指摘をしているんだ」という正義が生まれます。それを盾にすることで、「君のためを思って言っている」という意識に守られる。「お前がキライ」「イヤだ」と言えば、自分勝手な人間と思われるんじゃないかという恐れが生じますが、「人としてそれはダメでしょ」なら自分の本音を隠せます。「甘え」+「キライ」のコンボで責める人も、「甘え(=ダメ)」という根拠によって、自信を持って相手を批判することができます。(指摘することは悪くないし、正当な怒りもあると思います)
もちろん相手のことを心から心配して言っている場合もあります。「いつまでも甘えてちゃいけない」「もっと頑張らなきゃダメ」といった(弱った心をへし折りがちな)励まし。
そういうときは、
「◇◇を変えたら、今よりもっとよくなるよ」
こんな感じに変換。
これらの言い換えは、自分で自分を責めているときにも有効です。
=「今の自分が好きになれない」
「甘えんな」
=「○○な部分を直したい」
イヤだなと思う部分がわかれば、あとは直すだけ。すぐに変えられなくても、よくなろうという姿勢が素晴らしい。そういう自分を認められたら、きっと少しは自分のこと好きになってもいいかなって思えるんじゃないかなと思います。
最後に
「私は甘えているだけなんじゃないか」と葛藤している人は、自分と向き合って一生懸命もがいているわけだから、「甘え」という言葉は似合わない。
他人の基準からしたら「甘え」なのかもしれないけれど、私はそういう人のことを「甘え」とは思いません。自分に合ったやり方さえわかれば、ちゃんと頑張れる人だから。……って、それを見つけるのが難しいという話ではあるんですけどね。
甘えさせてもらった人に恩返しするためにも、まずは穏やかな気持ちで過ごすこと。
感謝の気持ちを忘れずに、一歩一歩進んでいけたらいいなと思います。
【甘えの話題】
こんばんは。
「最後に」の最後の2文が素敵です。
感謝の心、大事にしたいです。ありがとうございます。