「休んでいるだけの役立たずで申し訳ない」
「こんなこともできないなんて私はダメな人間だ」
そんな罪悪感に苛まれていませんか?
いくら病気とは言え、ずっと休んでいることに引け目を感じるのは当然ですし、今まで当たり前にやっていたことができなくなれば失望していまいます。
自分を罰することが解決になるわけではない。それはわかっているけれど、何をしていても罪悪感がついてまわる。
そんなとき、試してみたい罪悪感の克服法があります。
認知療法のセルフヘルプ本として有名なデビット・D・バーンズ『いやな気分よ、さようなら ― 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』より。罪悪感を克服するための章(pp.203-237)を参考にまとめました。
罪悪感が生まれる理由
常識や道徳的ルールから外れた行動をとってしまったとき、罪悪感が生まれます。
それを「自分が悪い人間であることの証明」と捉えると苦悩は深まります。さらに不安や憂うつなどの感情が加われば「罪悪感」によるダメージは増大。それはもう破壊力抜群。罪悪感の渦の中へまっしぐら。
そうなってしまう原因は、例えばこんな考え方。
それは本当に取り返しのつかないこと? 不道徳で、人でなしで、人間失格な行い? そこから学べることがあるのでは? 大げさに捉えていない?
2. 「自分は悪い人間だ!」
レッテルをペタペタ貼ってない? 「ダメ人間」「腐ってる」「敗北者」? 悪いのは“あなた”ではなく、あなたの“行動”。
3. 「~しなければならない!」
自分や相手をルールで縛りつけていない? 無意識に完璧を求めていない?
4. 「すべて私のせいだ!」
人のことにまで責任感じすぎてない? 相手に対する「影響」と「コントロール」がごっちゃになってない?
これらの思考が強化されると、自己否定的な考えを確信するようになります。そうなるともう「そんなことないよ、あなたは悪くないよ」という言葉は右から左へ。
非生産的でエネルギーを奪う罪悪感
自分を罰して戒める。
より善く生きるために必要なことかもしれません。しかし、それは必ずしもプラスに働くわけではないようです。
「自分は悪い人間だ」という否定は気持ちのよいことではありません。だからこそ、防衛的になったり自分を正当化したり、ときには攻撃的になったりします。
例えば、私がこれまで常用してきたやり方は、「私がすべて悪い」で思考停止すること。
冷静に物事を判断できないときには、気持ちを落ち着けるまでの時間稼ぎとして役立ちます。が、当然のことながら、そうやって防衛的に反応していると、自分の間違いを認め、改めることができません。
失敗したときに必要なことは、
- 間違いを認めること
- 学習すること
- 変化させること
それを踏まえた上で、その罪悪感が有益か有害かチェックしてみましょう。
- わざと悪いことをしたの?
- 自分が完全で全知全能であるべきと思ってない?
- 自分に「どうしようもない人間」とレッテル貼ってない?
- 自分の行動をはっきりさせてる?
- あるがままの気持ちを感じてる?
- 誤りから学んでる?
- 自己改革するための戦術たててる?
不適切な罪悪感を取り除く方法
1.すべき思考を取り除く
よりよく生きるためのルールを設けることは大切です。しかし、自分を縛りつける不合理なルールは悪い結果を招きます。
注意したいのは、「~すべき」「~しなければならない」という考え方。失敗や間違いを責め続けたからといって成長するわけではありません。
次の3つのやり方を使うと、極端な「すべき思考」を修正することができます。
① 質問する
罪悪感のもととなっている「すべき思考」を書き出します。それに対して、次の質問をします。
「そのルールのメリット・デメリットは?」
「どうして私がすべきなの?」
「そう信じることにどんな価値があるの?」
ダブルカラム法を使って、その答えの妥当性や価値を評価してみましょう。
② 言い換える
非現実なルールに気づいたら、「~すべき」「~しなければ」を以下の言葉に言い換えます。
「~にこしたことはない」
「それなりに~しよう」
「~なら素晴らしい」
自分を縛りつけるルールをゆるめれば、自然に痛み・苦しみは和らぎます。
【関連】警告!ネバネバ・ベキベキ思考を止めなければ苦しみからは解放されません
③ 自罰をやめる三段論法
うまくできない自分をいじめそうになったときは、筋道を立てて考えましょう。その際、バーンズ先生による三段論法が役立ちます。
(B) 私は人間だ
(C) それゆえに私はときどき失敗すべきだ
「失敗すべき」というところがミソですね。「失敗しちゃダメ!」と固く信じている者にとっては、「完璧じゃなくていいんだよ」と言われるよりも効果があります。
↓
「だから、失敗しない方がいい」
↓
「私は失敗したくない」
↓
「失敗しちゃダメだ」
「失敗すべき」でこの流れを崩せます。「べき」「ねば」が得意な人には特に有効!
自分の言動に後悔したときは、上記の三段論法に当てはめてみると、自分を必死にいじめる必要はないと気づけます。
2.自分の意志を通す
「罪悪感を感じたくないから○○する」
このような消極的な選択は、自分にとってプラスにならないことが多いようです。
中には相手の罪悪感を利用して、自分の要求を一方的に押しつける人がいます。優しくて真面目な人ほど、そういった自己中心的な人に利用されがちです。
そうならないためには一定のポリシーを持つことが大事だとバーンズ先生は指摘します。
- 自分には、相手の要求をすべて鵜のみにしない権利がある
- 相手の言い分にわずかでも真実があれば、それを認める
- 愛情は常に物を与えることではないという立場をとる
- 適切で、断固たる立場をとる
- 自分の足で立てないような弱く未熟な相手に巻き込まれない
- 腹を立てて相手の怒りに反応しない
- 相手が感情的になっているときは、「もっと話のできる気分になってから話そう」と伝える
相手の怒りに反応すれば、相手の「私は不当に扱われている犠牲者だ」「相手は残酷で利己的だ」という考えを強化してしまいます。
罪悪感を利用して自分に従わせようとする。バーンズ先生はこれを「一種の脅迫」と表現しています。大切な人の言動を「脅迫」と捉えることに引け目を感じる人は、いいように利用される可能性大。
「No」を言うことは悪いことではありません。
無自覚に相手を操作しようとする人は「私の期待に応えるべき」という思考を持っているでしょうし、それに対して罪悪感を感じる自分は「困った人を助けなければならない」「相手を傷つけてはいけない」という考えに捉われているかもしれません。
その考えは適切か、一度チェックしてみましょう。
3.線引きをする
「私が悪いんです何もかも」
そうやってすべての責任を自分のものとして、罪悪感を背負い込んではいないでしょうか。
対人関係における問題で、「自分だけが悪い」と決めつけることはできません。
相手の気持ちや考え方は相手次第。こちらがコントロールできるものではありません。当然、予測することもできません。
「彼が悲しんでいる原因は私のせいだ」
「彼女が悲しんでいるのに楽しんではいけない」
こういった思考に悩まされるのも、自分と他者の線引きがうまくいっていないから。
「どこまでが自分の責任で、どこからが相手の責任か?」
ダブルカラム法を使って、客観的に自分の役割を評価してみましょう。
最後に
「ダメだ~」が口癖だった私は、自分をたくさん罰すれば、きっと少しはましになる、悪い分がチャラになると信じていました。
でも、自分を一生懸命いじめていたら、頑張る気力がなくなっちゃうんですよね。それで結局うまくいかなくて、「やっぱり私は何もできないダメな人間」と悪循環。
いや~、もっと自分に優しくしてあげたいものですね。
これまで培ってきた考えを簡単に変えることはできませんが、そんな自分の傾向を自覚するだけでも、心持ちは違ってきます。
起きてしまったことは、嘆いても仕方ない。わかっていても自分を責めてしまう、それも仕方ない。
焦らず、少しずつ、心をラクにする道を選んでいきたいですね。
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<参考書籍>
ナミさん初めまして。
旧blogの人間関係が悪化し5年かかりやっと解き放たれたという記事を拝見しました。
私も今同じ条件にあります。
信頼していた友人に、他の友人までもを巻き込み一方的に関係を絶たれたした。
私自身も彼女に依存し過信していた部分もあります。
全てを病気のせいにはしようとは思っていません。
ですが、彼女らはうつ病を含む精神疾患を患う人間は、犯罪予備軍というレッテルを貼り、こちらの言い分には耳を傾ける事なく去って行きました。
ナミさんのその当時の記事を読み、我が事のように胸が痛みました。
時間が解決するんでしょうか…
病気に対する偏見を変えるのは容易ではないですね。
私も復讐心から自殺を考えました。
が、私の死という反論もきっと届くことはないんでしょうね。
今は自分に向き合い、時間が過ぎるのをただただ静かに待つばかりです。
5年かかりやっと解放されたのは、ナミさんの傷がいかに深かったかを考えさせられます。よく耐えられましたね。
長文失礼しました。