「私は幸せになっちゃいけない」と思う5つの理由

花瓶に挿した草木

「私なんか幸せになっちゃいけない」と思うことはありますか?

自分の価値を認められない。自分を罰していないと落ち着かない。そうやって自分の幸せを遠ざけてしまう。

なぜ?

そんな疑問が湧いたので、今日は「私は幸せになっちゃいけない」と思う心理について考えてみました。

結局答えは出ないのですが、「モヤモヤモヤ~」を「モヤモヤ~」くらいにできた気がします。私と一緒にモヤモヤしたい方はどうぞお進みください。

「幸せになっちゃいけない」と思う理由5つ

まず、「私なんか幸せになる資格ない」と思うのはなぜか考えてみることにします。思いついたのは5つ。

①うつ症状

極端なまでに悲観的に考えてしまうのはうつ病の症状の一つ。

「幸せになっちゃいけない」の元になっているのは、「私には生きている価値がない」とか「私のせいで周りに迷惑をかけている」という言葉。

うつ病じゃなくても、体調を崩すと弱気になります。考え方もネガティブになりやすいのではないでしょうか。

治療中は「これは病気が言わせてるんだ」と考えて、ゆっくり身体を休めるのがよろしいかと思います。

②人のことを考えすぎ

「あの人があんなにつらい思いしてるのに……」
「私だけ楽しんだら悪い」

こんなふうに感じることはあります。でも、その思いが強すぎて罪悪感になってしまうとつらい。

本を読んでいてよく目にするのが、「母親より幸せになっちゃいけない」。親を大切に思う余り、自分の気持ちを押し殺しているケースです。

他には、「被災した人たちはもっと大変な思いをしているのに」とか「こうしている今も飢餓で苦しんでいる人がいるのに」とか。

誰かを大切に思う気持ちは美しい。でも、いつもそのことを考えていたら笑うことができません。みんながそうなったら、世の中は悲しみ一色になってしまいます。

「今」という一部を切り取って比較しても正しい答えは出ません。人それぞれ喜びや悲しみが訪れるタイミングは違うから。

罪悪感を持って生きるより、自分の感情を大切に。それが周りの人たちの幸せにつながる。

とわかっていても、「私なんか……」って思っちゃうんですけどね。自己肯定感が低いという話と通じるものがあるのかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。

③失うことが怖い

ジェットコースターは頂上まで登ったらあとは落ちるだけ。
幸せもずっと続くわけじゃない。絶頂を迎えれば、いつか必ず急降下する。

そうなるのが怖いから、少しでもダメージを小さくするために「幸せになっちゃダメ」と戒めます。手に入れなければ、失うことはありません。傷つかないための防御法です。

傷つくのは誰だって怖いものです。

でも、それを乗り越えた先には喜びが待ってるよ。だから、勇気を出して踏み出してみよう!

私は世間一般の“幸せ”が怖いので、お断りしています。今の生活に十分満足しています。

④その“幸せ”がデメリットだから

例えばダイエット中の人。目の前の人がおいしそうにケーキ頬張っていたら食べたくなります。「ダイエット中だからダメ!」と言い聞かせても、誘惑に打ち勝つのは簡単ではありません。

それを続ければ、悲しい結果が待っています。

目の前にある幸せ(ケーキ)を取るか、未来の幸せ(ビューティフォーボディ)を取るか。

長い目で見て最善の選択は何か考えましょう、というお話です。

⑤強がり

素敵な人たちを見ると、うらやましいし、みじめになります。だから強がって我慢します。

成績優秀、出世街道まっしぐら。
結婚、出産、あたたかい家庭。
素晴らしい友達に囲まれてホームパーティ。

こんなイメージが浮かびます。自分が考えてる幸せって実は刷り込まれたものが多いのかもしれません。強がっているわけではなく、「あの人が考える幸せを私は求めていない」という場合もあるでしょう。

でも、「いらない」と思っても、やっぱりうらやましいよね。

この方の話にも共通項があるでしょうか。モヤモヤ具合にシンパシーを感じます。

ウェディングドレスが着たかった

この方の文章すごく好きです。

 

つらい気持ちを癒して問題を解決する方法は?

「幸せになっちゃいけない」と思う理由が何かによって、対処法は変わってきます。

例えば、
①うつ症状 → 治療に専念する。
②人のことを考えすぎ → 自分の気持ちも大切にする。
③失うのが怖い → 今持っているものを数える。
④“幸せ”がデメリット(ダイエット中) → 運動する。
⑤強がり → 無理しなくていいよ。別にそのままでもいいよ。

これが正解じゃないし、人それぞれ答えは違います。

ただ、わけもわからず自分を押さえつけていると、苦しみだけが大きくなります。

自分を罰しているのか、戒めているのか。
痛めつけているだけなのか、同じ失敗をしないように気をつけているだけなのか。

罪を犯したら償う。それは必要です。でも、罪を犯したわけでもないのに、自分を鞭でぶっ叩いてる人が多いような気がします。

やめていいよ。もう充分だよ。もっと自分に優しくしてあげて。意味もなく痛めつけてるだけなら、やめた方がいいよ。

やめたいのにやめられないときは、とりあえず自分をいじめてる事実を知っておけばいいのかなと思います。本当はやめたくないのかもしれないし。今、バランス取れた良い状態なのかもしれないし。

 

その幸せが何かにもよるけどツラいのは嫌だよね

幸せになりたいなら幸せになる選択をすればいいし、幸せになりたくないなら苦しい選択をすればいい。

って、そりゃそうなんですけど、人の心はそんな簡単なもんじゃございません。とっても複雑です。

特に②③の意味での「幸せになっちゃいけない」は難しい。

成育歴が関係していたり、トラウマがあって苦しんでいたり。そのつらさを思うと胸が痛みます。何と言ったらいいかもわかりません。自分の気持ちを抑えてしまうのはその人の優しさでもあるから余計に切ない。

「幸せになっちゃいけない」って「苦しみを手放しちゃいけない」って意味なのでしょうか。今の生活にそれなりの楽しみがある人は「苦しみ続けなければ」とは思わないですもんね。

そもそも、あなたにとっての幸せって具体的に何ですか? その答えによって、その人の生き方も変わります。

幸せになりたくない人なんていません。あなたも健康で毎日穏やかに過ごせることを願っているのではないでしょうか。

「幸せなんていらない」と思っている人でも、苦しいのは嫌なはず。首絞められたままじゃ苦しい。水中にもぐり続けていたら息できない。呼吸をしたい。

苦しみが和らげば、喜びに近づきます。それが幸せだと私は思います。

でも、もしかしたら「私は苦しんで生きていく道を選んだのだ!」って人もいるかもしれない。そういう生き方に価値を見い出している人に、「幸せになっていいんだよ。苦しまなくていいんだよ」って言うのは失礼な気がします。「バカにされた」って思う人もいるかもしれません。

そうやって考えると私に言えることは何もなくて……。

うーーーん、幸せって何なんでしょう。

今はだた、その人が「これでよし」と心から満足できることを祈るばかりです。

 

最後に

ハートのキャンドル

幸せは感情の一つ。「嬉しい」「楽しい」「気持ちいい」「おいしい」「面白い」の仲間で、コントロールできないものです。

「幸せになれ!」と言ってなれるもんじゃないし、「幸せになってはならぬ!」と言って拒めるものでもない。「今ここにある幸せに気づきましょう!」って言うのも好きじゃない。

私にできるのは、ただ今を粛々と生きることのみ。

そうやって今日一日を精いっぱい生きているうちに、答えは浮かび上がってくるんじゃないかなぁと思います。

 

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