「がんばる」の形も人それぞれ。自分だけが劣っていると感じたとき思い出したいこと

「みんながんばっているのに、自分だけ何もできていない」

そんなふうに感じることってありませんか。

自分だけが取り残されたように思える。自己評価がどんどん下がる。ひたすら自分を責める。

この感じ、つらいですよね。

自分だけが劣っていると感じる理由

なぜ自分だけがダメだと感じてしまうのでしょうか。この感覚の裏にはいくつかの誤解があるかもしれません。思いつくものを3つほど挙げてみます。

1.人と比較するとき、その人の表面的な姿しか見ていない

比べるつもりがなくても、他者の姿が目に耳に飛び込んでくる以上、無視することはできません。人は比較することで、自分の立ち位置を理解しようとします。

「自分は劣っている」という前提があると、自分以外の人がみんな素晴らしく見えます。努力する姿、輝かしい実績、成功を勝ち取った姿、エトセトラ。SNSではそれらがより強調されて映ります。

結果として、他人は順調に進んでいるように見え、自分だけが遅れを取っているように感じる。

ここでストップしないと、劣等感がさらに強化されてしまいます。

2.「がんばる」の形、進み方も人それぞれ、ということを忘れている

誰もが同じように努力できるわけではありません。馬力が違います。許容量が違います。体調や心の状態、環境によっても、やれることは変わってくるでしょう。

誰にでもバイオリズムがあり、疲れたり落ち込んだりすることがあります。不安定なときに無理をすると、かえって逆効果になる。これはきっと多くの人が経験済みのはず。

だから、一度立ち止まり、心身を休めることが、その時点での「がんばり」。

自分の調子、リズムやテンポを把握したうえで休むことは必要な行動の一つ。エネルギー回復に必須のプロセスです。

3.自分のがんばりを過小評価している

すぐに結果が見えないと、「自分は何もしていない」「何一つできない」と感じてしまいます。

でも、日々の積み重ねの中に、小さな前進や変化は必ずあります。何気なく続けていることだったり、耐える力だったり。これがのちのち成果につながることもあるでしょう。

大切なのは、すぐに結果が出なくても、焦らないこと。自分のペースで進んでいると確認すること。

日々の小さな前進は、本人が気づかないまま積み重なっていくものなのかもしれません。

ゼロよりましだ精神(惰性)で続けている事柄も、いつか実を結ぶと信じたいところです。

まとめ

と、思いつくところを書き出してみましたが、気分が落ち込むと、こうやって考える力も低下してしまうのが悩ましいところですね。

というか、そもそも「がんばる必要はない」ということも忘れてはいけません。あくまでも、がんばりたい人ががんばりたいときにどうしたらいいのかという話。

まとめると、

  • 「がんばる」の形は人それぞれ
  • 周囲と自分を比べるのではなく、自分のできる範囲でやれていることを認めよう
  • 落ち込んだときや体調不良に陥ったときは、自分を責めるのではなく、自分を労ろう

といったところでしょうか。

まあ、絶好調のときでも、自分を労ることは大事なので、「人にやさしく」の心持ちで、適宜大事なことを再確認しながら、ぼちぼちやっていきましょう。

 

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自分がゴミだと思ったときは↓こちらを。

「いざ、誇り高きゴミとなれ!」/映画『駅馬車』から学ぶ

 

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