年を取ると体感時間が短くなる。
そんな話を前にも書きました(年を取るほど時間が短くなる?実時間と体感時間について)。
「いや~ホント月日の流れが早い!」「え?!○○ってもうそんなに前?まじかー」とかしょっちゅう言っちゃいますよねほんとに。
でも、こういうやりとりを大げさに楽しんでいる人たちを見て、やりすぎはよくないなと思いました。というか、その場に居合わせた若者がなんとも言えない顔をしているのを見て気づかされたのです。
なんか、地獄のミサワ感が出ちゃいますよね、「つれー、実質1時間しか寝てないからつれーわー、実質1時間しか寝てないからなー」ってやつ。これの時間が早いバージョン。「自分はこの感覚をもう知っちゃってるんだよねー、カァーーーッ!」、そういうアピールっぽく見える。ことがある。
高校3年生が、入学してきた1年生を見て「うわぁ若~い!うちらと年2つしか違わないのに~」とか言うのに似た何かを感じます。自分も言ったからわかるんですけど、これって相手を褒め称えつつも、若干の優越感が滲んでるんですよね。大人ぶりたいお年頃だからでしょうか。
年を取ると体感時間が短くなるのはなぜなのか。改めて考えました。
まずはその理由を思いつくままに挙げてみます。
- 長く生きるほど、今(1日なり1年なり)が全体に占める割合は小さくなる
・10歳の子供の1年:自分の人生の1/10
・60歳の大人の1年:自分の人生の1/60 - 加齢による機能低下
・頭の回転が遅くなる(ので、時間の流れを早く感じる)
・体力等がなくなり動きが鈍くなる(同上)
・ちょっとのことですぐ疲れる → ボサッとする → 気づいたら時間が流れてる - 経験値アップによる処理速度向上
・「これはあれだな」と早く処理できる → 暇になる → ボサッとする → 気づいたら時間が流れてる - 慣れ
・同じことのくり返しで、刺激への反応が弱くなる
要するに鈍感になるということでしょうか。良くも悪くも余裕(ボサッとする時間)が増える?
自分の感覚としてはけっこう納得感があるんですけど、他の人はどうなのでしょう。年をとっても思考速度バリバリ速いぜって人もいるだろうし、毎回新鮮な気持ちで物事と向き合っていますって人ももちろんいらっしゃるんでしょうけども。
まあでも、加齢による機能低下と経験値が増えることはすべての人に共通することだから、そんなに的外れでもないんじゃないかと思うんですけど。自信はない。
重い抑うつ状態だった頃には、地獄のように時間が長く感じられたし、「時間」をどう捉えるかという話は難しそうです。
さて、「時間の流れが早い」と言うとき、人は何を伝えたいのか。
多くの場合は、純然たる事実を口にしているだけですよね。会話のジャブとして「いい天気ですね~」ぐらいのノリで口にすることも多いです。
しかし、これを大げさに吹聴するときには、何らかの主張が隠れているのかもしれません。
機能低下を嘆くことにより病気自慢的勲章の多さを誇示しているのかもしれないし、経験値の豊富さを自慢したいのかもしれない。
ということを考えると、「光陰矢の如し」っつって若干気持ちよくなっちゃってるときは要注意。
その言葉は、経験値の差、情報の差によるマウントになっていないだろうか?
年下の子らに微妙な顔されたくないので、気をつけよう……。
そうはいってもつい言っちゃう
・人生は、痛くない体勢をさぐる旅(腰が痛い)
・年寄りの病気自慢に共感し、隠れて生きる人々に思いを馳せる
まあ自慢というより、自身の変化への驚きを共有したいという側面がありますよね。