「根拠のない自信を持とう!」
そんなアドバイスを聞いたことはありませんか?
「自分らしく、自由な人生を生きるためには、自信を持てばいい。根拠のない自信は、持とうと思えば、今この瞬間に持つことができる!」
なるほど確かにその通り、と納得しかけたところで、こんな疑問が浮かびます。
「根拠のない自信」とは?
今日はそのあたりを考えてみようと思います。
自信を持つには何かしらのよりどころが必要なのでは?
「根拠のない自信を持て!」というアドバイス。それを聞くたびに私は「んんん?」となります。
自信を持てないのは、それなりの理由があるはずです。それを無視して自信を持つってかなりの荒業ですよね。
そもそも「自信」とは何でしょうか?
たしかにうまくやることが出来る(た)であろうという自己評価。
(新明解国語辞典)
何の根拠もなく「うまくやれるだろう」という自己評価を持つ。……んんん??? いや、意味はわかるんですけど、何か大きな痛手を負った後でも「大丈夫!」と思えるものなのでしょうか? 「うまくやれるだろう」と自己評価できるのは、それなりの経験があるからでは?
もちろん、できるできないに捉われず、「うまくやれる」と信じる、未来の可能性を信じて一歩を踏み出す、それは素晴らしいことであり、そういう考え方を獲得しようとすることは大切です。しかし、すべての人がそういうスタンスで生きられるかと言えば、必ずしもそうではありません。
心のよりどころがなければ、人は不安になるものです。そういうとき、自信を持てないのは自然なことではないでしょうか。
「根拠のない自信を持っている」と自負する人も、必ず何かしらのよりどころを持っているはずだと私は考えます。
自信を持てないのは障害に阻まれているから?
「根拠のない自信を持っている」と心から思える人は、「自分には愛される価値がある」という確信を持っているのだと思います。たとえ人から愛されなくても、自分で自分を愛せる、健全なかたちで大切にすることができる。これは理想的なあり方です。
一方、自分を愛することができないのは、それなりの理由があると考えられます。
育ってきた環境、社会的な価値観の影響、気質、過去の苦い経験、思い込み……etc.
これらのものがマイナスに働き、足枷となって、うまくいかない。
その足枷は、自分がつくり出した幻影で、そのような事実は存在しないのかもしれません。そうであれば、問題を克服して、新たな生き方を模索する必要があります。
けれど、そんな単純な話では済まないケースも多々あるように思います。いくら目に見えなくても、自分の力では抗えない障害となっていることもあります。それが自分を愛することを阻む足枷。そのような状態で、足枷がない人と同じようにうまくやるのは困難です。
まずは、その足枷の存在に気づくこと。
可能であれば、足枷を外す。それが難しいときは、足枷をつけた状態で何とかうまく過ごす方法を探すしかありません。
このような状況で前向きに生きていくのは簡単なことではありませんが、足枷に阻まれている現状を知ることで、不必要に自分を貶めることはなくなるのではないかと思います。
「うまくやれる」と自己評価できることが必ず1つはある
私は多くのことにおいて、うまくやれる自信がありません。それでも、「たしかにうまくやることが出来る」と確信していることがあります。
それは例えば、まばたき。意識せずともできていることです。あるいは、呼吸。発汗や排泄もできます。これは、身体の各部位に障害があるときには、当たり前のことではありません。
だからといって、どんなに重い障害があっても、何もできないということは決してありません。すべての人に「うまくやれる」と自己評価できることがあります。
それは、生きること。存在すること。
大きな痛みや障害を抱えて生きる苦労を知らない私が語ることには引け目を感じますが、これは否定しようのない事実です。
生きている以上は、必ずこれができています。すべての人が意識してやっているわけではないでしょうから、「うまくやる」とは違うのかもしれません。でも、できていることに変わりはありません。うまくできていなければ、いないわけだから。
不安になったときに思い出したいこと
これまでに頑張ってきたこと。
誰かから愛された経験。
今ここに生きているという実感。
これらが揺らいだときに、自信を持てなくなるのは、自然なことです。
すべてのことを「確かにうまくやれるだろう!」と自己評価することはできません。
だから、私は確信を持って言えます。「私はできないことだらけだ」と。
同時に、「できること」を確認します。私が生きている以上、それがゼロになることはありません。
今こうして生きていることに理由なんかない。そんなふうに「根拠のない自信」を捉えてもいいのかもしれません。
「根拠のない自信を持て!」
=「今を生きる自分を感じろ!」
不安になったときは、思い出したい。誰もが持つことのできる自信、たしかにうまくやれるだろうと自己評価できること。
「生きている」という根拠を足掛かりにして
社会生活を送る上では、「私は生きている!」と自信満々に言ったって、問題は何も解決しません。それどころか、こういう話は人を苛立たせるだけかもしれません。
それでも、まずは、この「生きている」という根拠を足掛かりに、できることを積み上げていきたいところです。
できない自分を責めるのではなく、赤ちゃんの成長を見守るように、できたことを一つずつ数えていく。できて当たり前と思っていることを丁寧に確認していく。
この作業をバカにする人がいたとしても、私は決してムダなことではないと思います。できないことは、いきなりできるようにはならないし、だからこそ、できる範囲で「できる」を育てていこうとしているのだから。
「これでいいんだ」という安心感と心強さを持って生きていくために、これまでやってきたこと、自分が今できていることを数えていきたいと思います。そして、できる限り、自分を大切にしていきたいと思います。
それがきっと大きな自信につながるはずだと信じて。
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