痛くなったら、細胞さんを応援する・念じる・祈る

あそこが悪い、ここが痛い、という話はあまりしたくないのですが、先日、激しい腹痛を乗り越えるにあたって気づいたことがあったので、それについて書きます。

「おなか痛いよ~」とうずくまって耐えていたときの話です。

痛くて何もできず「う゛ぅぅ~」とうめきながら私は何をしたか。

応援です。

ガンバレガンバレガンバレ……!!!

体内で働く細胞さんたちを必死に励ましました。

擬人化された赤血球さんや白血球さんや好酸球さんや血小板ちゃんたちみんなの姿を思い浮かべると、より具体的に応援できます。

まだまだ他にも私が知らない細胞さんがたくさんいるはずなので、その存在にも思いを馳せ、内臓の壁が大変!胃酸ジュワ~血が出た血の海だ~みたいな阿鼻叫喚図を描きながら戦士たちを応援。

そうやって(ガンバレガンバレガンバレ……!!!)と念じていると、痛みが少しラクに……なった? かも?

が、しばらくするとまた痛みのビッグウェーブがやってきます。

再び(ガンバレガンバレガンバレ……!!!)と念じます。

すると、やっぱりちょっと痛みがましになる。気がする。痛みというか、死にそう度合いがましになる感じ。

まあ応援してもしなくても同じで、時間の経過でおさまっただけなんでしょうが、「応援が力になった」と確かに感じたのです。

 
まあでも、もし本当に応援が関係しているのなら、それは「病は気から」という話にも通じそうで、それはそれでちょっと嫌なんですけどね。

だけどやっぱり、根性論で乗り越えるしかない局面もあるのかなと思いました。

例えば、電車の中でおなかピーピーになったときって、ほんとに歯を食いしばって耐えるしかないですよね。次の駅に到着するまで全力で(耐えろ耐えろガンバレガンバレガンバレ……!!!)と念じます。お漏らししたら大変、極限の状態です。

ここまでくると、これはもう「応援」というより「祈り」に近い。

嵐が去ることをただただ祈ることしかできない。

意志の及ぶ力なんて、ほとんどないに等しい。

……って、「『頑張れ頑張れ』と応援したら、痛みがましになった気がしたよ」という話をするつもりが、結論が違うものになってしまいました。

まあとにかく、なんでしょう。自身の体に思いを馳せ、味方になることで、よい方向に向かうこともあるかもね、ということにしておきましょうか。

我らにできることなどないのだから、厄災を前にしたときには、自分なりの念仏を唱えて気を紛らわしましょう、というまとめにしておきます(なんかそれじゃダメな気がする……)。

 
・・・・・・・

※気になる症状がある方は医師にご相談ください。治療を受ければ治るかもしれません。

※お医者さんは痛み止め等を処方してくれますが、魔術師ではないので、痛みをパッと消すことはできません。

※耐えるしかありません。
 

 

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