先日の映画の話を書いていて気になったことなんですが、最近ネタバレに敏感すぎるかな~? とちょっと気になりました。別に内容を知っていても楽しめる作品は多いですよね。
もちろん、ミステリーやサスペンスで「犯人は○○だよ」と言っちゃうのはNGだと思います。でも、推理小説を最後の方から読んで、作者が読者をどうミスリードしていくのか読むのが楽しいという人もいるらしい。そう言われると、確かにそれめっちゃ面白そう。古畑任三郎方式ですよね。となると、ネタバレも一概にダメというわけではない……?
これまで自分は、ネタバレやめて教・過激派に分類されるタイプかなと思っていたのですが、意外とそうでもないのかもしれません。というのも、ある本を読んでいたとき、盛大にネタバレされても全然気にならなかったからです。話の流れで「そういえば○○という映画にも似たようなエピソードがあって」とストーリー紹介(オチまで披露)があって本筋に戻る。それに対して「やめて」と思うどころか、むしろ「面白そう!観たい!教えてくれてありがとう!」という気持ちにさえなりました。完全にオチまで知っちゃったのに。そういうことが何度かありました。
これは一体どういうことなのでしょう。
私はどうやら、物語の組み立ての面白さはそこまで重視していないようです。推理小説を読むときも「犯人は誰だ?」と予想したりはしません。別に誰が犯人でも構わない感じ。それよりも、物事の捉え方や思想、人間関係の機微をどう描いているか、そういうドラマ部分を重視しているっぽい。これは映画をいろいろ観るようになってわかったことです。
もう一つは、ネタバレ自体が嫌なんじゃなくて、事前に知った情報に影響されるのを避けたいということ。って前にも同じことを書いているのですが、自分は影響を受けやすいから、人の感想と自分の感想を混同しているのではないかという心配が常にあるんですよね。となると、できるだけまっさらな状態で観た方がよさそうだ。鑑賞後もすぐ人のレビューを読むのは危険だろう。自分がどう感じどう考えたのか知りたいなら尚更。と、構えを取るようになったわけです。
あとは、事前に知っているよりも、思いがけない場面展開に「えーっ!?」と驚いた方が楽しいということもあります。先日の話でいえば、外国映画の日本描写は、唐突な方が「なにこれ~」と笑えることが多い。言及した3作品も、日本的描写が出てくるとは知りませんでした。だからビックリして、その意外性に笑ったんですよね。予想を裏切られる気持ち良さってものは確実にあります。
というわけで、ネタバレに敏感すぎるのだろうかという疑問についての結論は……、
どうなんだろう?
気にしないとはいっても、ミステリーの犯人バラされるのはやっぱり嫌だな。
「私の場合は人の影響を受けやすいから、できるだけ事前情報は入れないようにしてるよ。そういう人は他にもきっといるだろうから、自分が書くときも『ネタバレあり』的な注意書きを入れるようにしてるよ」といったところでしょうか。
一度知ってしまったら、知らない自分にはもう戻れないですものね。
配慮してもしすぎることはないでしょうってことなのか。
でも、そんなに気にしなくてもいいのにーと思うこともあるからなー。
やっぱり見る側が予防策を講じるしかないんですかね。いや、予防しようがない場合もあるからなぁ。作品名で検索したら、オチを予想できちゃう情報がサジェストされるとか。
ネタバレという言葉を雑に使いすぎているというところもあるかも?
ああ、話がまとまらない……。
思いつくままあれこれ書いて、力を使い果たした感じです。残念。
では最後に、こういう話をするときにいつも思い出す言葉を置いておきましょう。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
はい。