壊れたPCデータ救出叶わず 「めんどくさい」の厄介さ、喪失の悲しみ

先日、やっとこさ不具合パソコンのデータ救出を試みました。パソコンが壊れてからもう半年近く経っていることにビックリ(参考:絶望しないですむようにデータのバックアップはこまめに取っておこうねッ☆)。自身の面倒事の後回しっぷりに呆れつつ作業しました。

結果はダメでした。論理障害か物理障害かわかりませんが、業者に依頼すると高額なので諦める方向で。まあデータはもう半ば諦めていて「取り出せたらラッキー」ぐらいに思っていたので、「はいダメですね、わかりましたー」ときっちり答えをもらえてスッキリ解決という感じも多少あり、まあよかったねという結論に至るのですが。

とはいえやはり、何やらモヤンとしたものは胸に残っておりまして。大したものは入っていないと言いつつも、やっぱりデータを取り出せないとなると寂しいものです。画像とかメモとかどうでもいい細々としたファイルたちよ……。

忘れちゃってるけど、実は取っとかないといけないファイルあったんじゃないかと思ったりね、ちょっと未練たらたらしてみたり。まあこうやって今完全に忘れてる時点で消えても問題ないってことだし、半年近く困ることもなかったんだから、なくなっても全く問題なかったのだよとは思うのですけれど。緊急度が低いから、こんなに後回しになってしまったわけですし。

今回の件でモヤモヤするのは、プチ喪失の他に、悔しさがあると思います。体調崩すまではこまめにバックアップ取って、ちゃんとやってたのにィィィ! という悔しさです。

まあでも体調不良の中でも、重要なデータだけはバックアップを取っていたんだから、「十分よくやったよ自分」と認め、慰めることもできるんですけれど。

あとは「なんで私はこんなに体調を崩すんだ」というムカつきもあるかもしれません。まあ死なずに今生きている事実を「よかったね」と肯定的に捉えるしかないんでしょう。苦痛さえなければ生きていようが死んでしまおうがどっちでもいいというのが正直な気持ちなのですが、それを言っちゃあおしまいよ、みたいな気持ちがあるので言わないように「プリンおいしかったな、次は映画なに見よっかな(ワクワク)」などと頑張って話をそらしています。

今回の件で改めて思ったのは、

  • こまめにバックアップを取ることが大事
  • 「めんどくさい」という感情・思考のやっかいさ
  • どんなことであれ、喪失はつらいもの

といった事柄です。

学びを得て、経験値を重ねられてよかった。そう自分に言い聞かせています。

壊れたパソコンの処分は一体いつ行われることやら……。

 

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