ダメだと自分を責めるのは、自分を見捨てていないから

最近あまり自分のことをダメだと思わなくなりました。いや、ダメはダメなんですけど、やたらめったら「あぁ~ダメだぁ~」と嘆かなくなったというか本気度が低くなったというか。「そんなこと言うまでもない、わかりきったことだよ」という前提ができあがったんだろうと思います。2014年にそんなようなことを書いていますから、6・7年で固まった感じですかね。

で、先日ふと思いました。10代20代の頃はいつもいつも「ダメだ」と思っていて、すぐにそれを口に出してしまって、まるで自分自身を洗脳しているような状態だったのですが、そうやって一生懸命「私はダメだ」と思うのは、自分に期待していたからなんだよなと。

自分を見捨てていないから、まだ自分は頑張れると思っているから、希望を持っているから、「このままじゃいけない、もっと頑張らなくちゃ」と思う。

これって素晴らしい姿勢ではないですかと他人事のように思ったのです。エネルギーの源泉って感じでね。

「で、今の自分はどうなのよ?」と自問するのですが、その答えは……?

先の言葉を使うなら、私は自分を見捨てた、と言えるのかもしれません。でも、いくら自分を見捨てようとしてもこの身からは離れられません。だから観念したって感じかなぁ……と、気づけば半目でぼんやりと弥勒菩薩像を思い浮かべていました。てか即身仏ってすごいよなぁ……。すぐに現実逃避してしまいます。まだまだ修行が必要です。

「見捨てる」という言葉で表したかったのは、現実を受け入れる、見込みがないと判断してあきらめる、見切りをつけるということです。まあ何というか言葉遊びみたいな話なんですけど。今の私は「もうどうにもなりません」「手遅れです」と自分で自分に言うとちょっと安心するようなところがあって、これも受容の一種なんだろうなぁと思っています。

そういえば昔勤めた会社の社長が「足るを知っちゃいけない時期ってあると思うんだよね」としみじみ言っていて、(いや、言いたいことはわかるけど、「足るを知る」はそういう意味じゃないでしょ、足るを知るからこそもっと向上できるんでしょ)とか思っていたんですけど、今は社長の気持ちがちょっとわかる気がします。あのときの彼は「もっと攻めるぞ!」とか「これじゃダメだ、もっと頑張らないと!」とか、そういうエネルギーが弱まりつつあるのを感じていたのかもしれません。遠くを見る目をしていましたから。中年の危機ってやつでしょうか、確か40代だったはず。全然違ったらごめんなさいなんですけど。

 
まあそんなこんなで、「ダメだ」と自分にがっかりするのも悪いことではないのかなと思ったのでした。

とは言っても、過剰に自分を否定するのは精神衛生上よろしくないので、そのあたりの思考の癖は修正する必要があると思います。

バランス感覚が求められるんでしょうかね、なかなか簡単ではないですが、いい感じになれるよう適宜調整していきたいですね。

 

1 COMMENT

アジサシ

だいぶ前のエントリに今コメントするのをおゆるしください。
少し前から、過去の自分の転換点にけりをつけたほうがよいのではないかと考えていました。
「見切りをつけるということ」と微妙に異なるのかもしれませんが、自分が引きずっているネガティブなものをあえて忘れるほうがよいのではと思ったんです。
今の自分に注目して、何か希望を持てることをしよう。
自分の身にもなにが起きるかわからない。
ウクライナで起きている戦争にも影響されたかもしれません。

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