コロナ禍を生きています

新型コロナウイルス感染症に関する話をこれまで一度もしてこなかったのですが、私もコロナ禍を生きているよという話をしようかなと思います。

正確には、五味太郎さんのインタビュー記事をリンクしたとき(参照:半オートマチック餃子とパラパラな心)にコロナという単語は登場しているのですが、それについて詳しく書くことはしませんでした。

なぜ今までコロナについて書かなかったのかというと、何をどう書いたらいいかわからなかったからです。

正解のない新型コロナ対応、刻々と変わっていく情勢。医療現場は大変で、最優先してほしいけれど、だからといって経済を止めれば生活が立ちゆかなくなる人もいる。企業にとっても打撃は大きいと連日ニュースが報じている。教育、福祉、物流、交通、生産業、その他生活に欠かせないインフラ、行動を制限された子供たち、それを支える保護者たち、立場によって違う、いろいろな思いがある、そういったものを眺めて私は……? いまだに何を言えばいいのかわからず、もごもご口ごもるばかりです。

感染が広がり始めた頃は、わからないことだらけで不安も多く、そのあたりについて書こうかなぁとも思ったのですが、悩んでいるうちに、状況は刻々と変化するし、立場によって思うことは違うだろうし、情報に触れれば触れるほど混乱してくるし、結果「うーん」と唸って何も出てこず、ということをくり返していました。

あーもうこれじゃブログ書けないよ~、まあでも新型コロナに関しては主要メディアで嫌というほど浴びる情報なのだから、せめてこのブログはそういう事柄と離れたゆるい場にしたっていいよね、むしろ疲れているときこそ、そういう時間が必要だよね、というわけで、これまで通りのやり方で更新を続けてきたのですが、どうしたものかと悶々としているうちに、思考が現実逃避を始めて、頭の片隅にあった一つの考えが大きくなっていきました。

それは「実はこのブログを書いているのはAIでした」的な話だったら面白いなという想像です。円城塔の『これはペンです』みたいに、自動生成された日記。このブログを書いている私という人間は存在していない。そんな想像をすると、不安な現状を突き放して捉えることができ、冷静さを取り戻せるような気がするのでした。これはコロナ前からちょいちょい思っていたことではあったのですが、それがより頻繁にあらわれるようになったと言いますか。

とは言っても、こんな与太話している場合じゃないでしょうとも思うのですよね。でもやっぱり何を書くべきかはわからない。ただ、シビアなことを書き連ねて不安を増幅させることは私のやりたいことではない、このブログが目指すのは「うつ」の悩みを軽くするヒントを模索することなのだ、と改めて自分に言い聞かせて、いつもの調子でブログを更新しつつ、何か書けそうかなと思ったらコロナについても書こうと決めました。

で、結局一年経ってしまいましたね。

ほんとに、なんだかわけのわからないうちに過ぎてしまったなぁという感じです。どれだけ考えても正解がなくて、こちらを立てればあちらが立たず的な、ものすごい難しいバランスゲームをしているような。

本当に、何を言ったらいいのかわからないままです。

 
とりあえず私はインターネットの片隅で「ここにいるよ」と今日も言う。

それを言ってどうなるものではないけれど、過去の私は、今を生きる人が何かを言っている、何かを綴っているという事実に救われているところが大いにあったので、できるうちはピコピコ何らかのサインを送っていたいなぁと思っています。

 
以上、私もコロナ禍で生きていますという報告です。

生きましょう。

 

1 COMMENT

アジサシ

自分が苦しい、痛い、つらいというふうになりたくない。お年寄りや持病のある人にも、そんな目にあってほしくない。だから、自分にできることをする。しないほうがよいことはしない。そう思っています。
健康を損ない、命を危険にさらしてまでも経済を回すということはおかしいと思います。
僕らは生身の人間です。助け合えると思います。

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