「ざまーみろ」と口に出したらスッキリした

今日は、駐車違反の黄色いステッカーを貼られた車に「ざまーみろ」と言ったらスッキリしたという話をします。

ある日、日常的に行き来する建物の出入り口付近に車が駐車してありました。ここに停められると見通し悪くなるからやめてほしいんだよなぁと思いながら横を通りました。実際子供が飛び出してくることもあるし危ない。駐車禁止って書いてあるのに。困ったものだ……などと嘆きながら。

しばらくして戻ってくると、まだ車は停まっていました。「あーーまだいるよ~も~」と言いながらフロントガラスを見ると黄色いステッカーが貼られています。

あはは、駐車違反だって~。

というわけで「へへ、ざまーみろ」と口に出して言ってみました。そのとき人と一緒にいたので、ちょっとわざとらしく大げさに。すると、なんだか胸がすっとしました。

実際にはそこまでムカついていたわけでもなかったし、駐車違反の車なんてしょっちゅうなので「あーまたかー」ぐらいの温度感でした。緊急の用事で仕方なく停めている場合もあるかもしれないと考えれば、絶対悪と断罪するのも不適切だろうし、ほんの数分停めてただけなのに……とかあるし。というかこれは自分も自転車でやられたことがあって、たったの2、3分でこの仕打ち!?とほんとに泣きそうになりました。というか泣きました。家に帰ってからさめざめと。悪いことは重なりますからね、いろいろあってね。

でも、今回はそういうことをほとんど考えませんでした。邪魔だなと思っていた車に駐禁のステッカー貼られて「ざまーみろ」と反射的に言った、それでこんなにスッキリしているのは勧善懲悪を望んでるんだろうなぁ、と水戸黄門を好んで見ていた祖父のことを思い出すなどしました。彼はモラハラくそジジイだったと思います(悪口の流れ弾)。

それはさておき、相手の事情なんか一切考えずに、自分に不都合な相手のことを「ばーか」と罵るとスッキリするんだということを改めて実感しました。あれこれ考えるからもやもやが発生しちゃうんだよなぁと。

でもやっぱりこういう態度って危険で、「ルールが絶対」「自分は正しい」「相手が間違っている」という考えに支配されると暴走しやすくなると思います。例えば、正義の名の下に誰かを激しく攻撃するとか。

ルールは絶対じゃないし、自分が正しいとは限らないし、相手が間違っていたとしても、のっぴきならない事情があったのかもしれない。ということは多々あります。いやもちろん駐車違反した人には「コラー!」って言いたいですけどね。ダメだから。危険度や迷惑度を上げてますから。

まぁまぁまぁ、そんな感じで日々学びや気づきがあるわけですけれども、そんなことより私は今ちょっと興奮しています。なぜならば「のっぴきならない」を使うことに成功したからです。自然に使うことができて嬉しい。この言葉を使う機会はないだろうと思っていたので。思わぬ邂逅に感激(というのは大げさ)。よかったよかった。

この話の詳細は「のっぴきならない人生とは何か」をご覧ください。

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