前回、プロ棋士・先崎学九段の闘病エッセイ『うつ病九段』の感想を書きました。
うつ当事者が読む『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』感想
久々に読んだうつ病体験記でした。
このブログを始めた当初は、うつ関連書籍の感想をいろいろ書けたらいいなと思っていました。まだ病歴が浅かった頃は、うつ病と名のつく本を片っ端から手に取っていたので、それを記録して整理したい気持ちもあったんですよね。
でも、いつからか、読むのがしんどくなりました。特に闘病記や体験談。書籍として出版されるものは、すごい人(能力がある、知名度がある、成功しているなど)が病気を克服して回復した、あるいは回復しつつあるというストーリーが多め。一般の人寄りの本でも、大体は希望を感じられるものになっています。
そういった体験談を読むたび私は「この人はすばらしい、それに比べて私は何てダメなんだ」と思って落ち込んでしまったんですよね。
初めの頃はあまりそのようには思いませんでした。むしろ「こういう人でもうつになることがあるんだ」「心が弱いからなる病気じゃないんだ」とずいぶん励まされたものです。
けれど、気分障害がどんな病気か大まかに理解し、治療が進むにつれて、自分のこれからに目が向くようになりました。「病気」から「人生」「生き方」に関心が移ったのです。
病気の症状も生き方も人それぞれ。それはわかっているつもりでも、つい比べてしまいます。自分には足りないものばかりが目につきます。失ったもの、奪われたものが多すぎるような気がしてしまいます。
それがしんどくなる原因だとわかって、読むのを避けるようになりました。不必要に落ち込まないための防衛策です。実際、距離を置くことで、落ち込む頻度は少なくなったと思います。
そんな時期が長らく続いていたのに、今回自然に『うつ病九段』を手に取ったのはなぜだろうと自分でも不思議に思いました。ただ目が合っちゃったから、としか言いようがないような。気分的に落ち着いてきたということなのでしょうか。ご縁なのでしょうか。まぁタイミングは大きいだろうなと思います(発売当時、本屋で平積みされているものを手に取って、そのときはいつもの落ち込むパターンに陥りそうな気がしてやめて、先頃再会したのです)。
少し前に感想を書いた、絲山秋子さんの『絲的ココロエ』にしてもそうです。自然に読みたいと思いました。抵抗感はほとんどありませんでした。
躁状態だった自分と向き合うのはしんどい/『絲的ココロエ』感想
どちらの本も、特に落ち込んだりはせず、冷静に読み終えました。こういう本を読んで、自分の惨めさを嘆いたり、「なんて私はダメなんだ」と自分を責めたりしなくなったのは、成長したってことなのかなと思います。成長したというか老いただけでしょうか。そういうこと言うとまた人生の先輩方に鼻で笑われちゃうんですけど。けれども実際、加齢によって得られるものはすごい。侮れません。
まぁ『うつ病九段』も『絲的ココロエ』も、うつ以外の要素が興味深そうだったから読みたいと思った、という部分は大きいかなと思います。矢崎さんのエッセイは面白いと聞いたことがあって前から気になっていたし、将棋にも興味があった。絲山さんの小説やエッセイは好きでいろいろ読んでいたから、その流れで手に取った。それだけのこと?かな?
人と比べて落ち込んでばかりいた過去の自分、いや、今でも人と比べてダメだと思うことはしょっちゅうあるんですが、そういう不快感を和らげるためにできることは何か、もう少し考えてみたいなと思いました。「人は人、自分は自分」とわかっていても、どうしても比べちゃうことってあるじゃないですか。また何か思いついたら書きます。