『3月のライオン』監修者としても知られる将棋棋士・先崎学九段のうつ病闘病記を読みました。
将棋のことは詳しくありませんが、興味深く読みました。知らないからこそ、未知の世界をのぞき見るようなワクワク感があって面白かったんだと思います(と、こんなことを軽々しく言ったら、重いうつ病で苦しんだ先崎さんには大変申し訳なのですが……)。一人の棋士の生き様を見せつけられた感じです。棋士同士の交友関係や距離感が垣間見れて、将棋ファンにとってはかなり嬉しい内容なんじゃないかと思います。
うつ症状に関する描写はどれも「そうそう」「わかるー」と合いの手を入れながら読みました。自身の経験を思い返し「ああ、そうだったなぁ」と懐かしくもありました。私はうつ病ではなく躁うつ病(双極Ⅱ型障害)と診断されていますが、病的としか言いようがない暗黒期のうつ症状は共通する部分が多いと思います。「これは経験した人でないとわからないだろうなぁ」という微妙な感覚も見事に言語化されていました。
例えば「死にたい」という感覚については、こんなふうに書かれています。
死にたい、と思うのもうつ病の典型的な症状である。だがこれにもいろいろあって、発症直後は、脳とこころが一体となって肉体を消したがっているという感じだった。そこには理屈などない。だが、すこし元気になったころだと、現実が見えてきて、失ったもののおおきさ、これから失うであろうもののおおきさを悲観的に考えて、死を選ぶということが多いのではなかろうか。そこにはあるいは社会の偏見も要素としてあるのかもしれない。(p.106)
「あぁ、まさにそんな感じだなぁ」と納得して感心する、そのくり返しでした。頭が働かないときに落ちゲーをやりまくっていたというエピソードは「わぁ一緒だ~」と思わず嬉しくなりました。
先崎さんのお兄さんが精神科医であるところも注目ポイントです。医師としての的確なアドバイスと、家族としての言葉が印象的でした。また、先崎さんの妻の距離感がとてもいいなと思いました。つかず離れず、さりげなくしっかりサポート。この力加減は難しいところだろうと思います。療養環境は大事だなと改めて痛感します。
『うつ病九段』は、体調を崩してから回復に向かうまで時系列で書かれています。まるで小説を読んでいるようでした。将棋界の話が中心となる後半は、私の頭の中で映画が上映されていました。予告編で「あるプロ棋士の物語」とコピーがついていそうなヒューマンドラマです。
とてもわかりやすく書かれているので、うつ病がどんな病気か知ってもらうための啓蒙書として最適だと思います。
ただ、過去の自分に勧めるかどうかは微妙なところです。精神疾患に関わる本を読みあさっていた頃の自分には迷わず手渡したいけれど、停滞してどうしようもなく焦っていた頃の自分に手渡したら、落ち込ませるだけだろうと思います。行き詰まっていた私は、人と比べて自分がいかにダメか確認する不毛な行為をくり返していたんですよね。この本に限らず、すごい人の体験談は、勇気づけられることもあれば、落ち込みのもとになることもあるので(己の惨めさを思い知らされる、自分がいかに劣っているか見せつけられるようでつらいなど)、難しいですね。
そういう受け手の気持ちを脇に置けば、うつ病の解説書としても、エッセイとしてもすばらしく、多くの人におすすめできる本だと思います。
では最後に、胸に刻みたい精神科医(先崎さんのお兄さん)のお言葉を。
医者や薬は助けてくれるだけなんだ。自分自身がうつを治すんだ。風の音や鼻の香り、色、そういった大自然こそうつを治す力で、足で一歩一歩それらのエネルギーを取り込むんだ!(p.66)
うつ療養中のお出かけには、神社、公園、図書館がおすすめだそうです。