好きなものを集めてスクラップブックを作るのは楽しいよねー、気軽にメモれるWebサービスもいろいろあって便利だねー、という話を前回書きました。
そんなこんなで相変わらず、思いついた時、思いついた場所に、思いついた事柄を書き散らかしているのですが、大したルールもなく全部思いつきでやっているので、いざというとき目当てのメモを見つけられないことがあります。
先日も「ここらへんの話ブログで書きたいな、あとでゆっくり読もう」とぼんやり思って流し見したWebコラム(か何かの文章)を見つけられませんでした。
確かどこかにメモかブックマークしておいたはずなんだけどなぁ、あれぇ~? うーん、あー思い返すとメモしてなかったかもしれない、記憶がかなり怪しいぞ……と。
その後も一応思いつくキーワードで探してみましたが、結局見つかりませんでした。
もうね、情報が多すぎてすぐに流れてしまうんですよね。時間が経って探そうとしたときにはもう遙か彼方。
だからといってブックマークやメモ帳にばんばん放り込んでいっても、今度はそこから探すのが大変、あるいは面倒という場合もあります(特徴的なキーワードがなかったり、タグ付けを怠ったりすると、パッと探せない)。
どうでもいいものばかりスクラップして、見たいと思ったものを探せないとかばかじゃんという嘆きというか苦笑いです。いや、先の件はメモし損ねた可能性が高いんですけどね。あとぼんやりしすぎていた。
まーでも考えてみれば、別に目的のメモを見なくても実は全然大丈夫だったりするんですよね。
大抵はメモ、スクラップした時点で完了しているんです。見返すことがないわけではないけれど、見返さないことの方が多い。特にテキスト系のメモの場合。
だったらもうメモしなくてもいいかと思うこともあるんですが、でも、いざ「あれって何だっけ?」と思ったときに思い出せないのは悔しいんですよね。
そういう気持ちを味わわなくていいように必死こいてメモしているところはあります。メモすることで安心したいという気持ちも強いのかもしれないですね。自分の記憶はあてにならないから、外部装置にとりあえずつっこんどこって。
これはメモリ大容量が当たり前の今だからできることで、ありがたいことだなぁと思います。昔のように圧縮とかしなくていいですもんね。けど、取捨選択しなくてよくなった分だけ、頭を使わなくなっているので、その点はよくないとも言えるのですけれど。まぁどんなことでも一長一短ですね。
さて、「あとで読む」タグをつけてあとで読み返すことはない、というのは多分あるあるだと思うんですけど、「『あとで読むタグをつけるに値する』と当時の自分が感じた情報」の一覧を示せると考えれば、この行為にも意味があります。
コレクションすることに喜びを感じるタイプの人(私)は、より有意義に感じられる行為なんでしょうかね。いや、単純に日記みたいなものですかね。
で、何が言いたいかというと、何でしょう。脳内垂れ流し&メモりまくるの楽しいよ、ということでしょうか。
頭(心?)の中に浮かんでいるものは、ちゃんとつかまえておかないと、そのまま遠くに飛んでっちゃって二度と戻ってこないよ、ということかな。
・思い出せない悔しさを味わいたくない
・安心したい
・喜びを集める喜びを感じたい
これが、私がせっせとメモをとる理由です。