逃げちゃダメだと自分に鞭打ち、逃げる選択を排除した私の反省点10コ

走る

逃げることは悪いことだと思っていました。

どんなことでも、途中で辞めるのは悪いこと。だから、どんなにつらくても我慢しなければいけない。そう思って過ごしていました。

もっと言うと、人はつらく苦しい試練を乗り越えなければ成長できないと思っていました。

だから、我慢することは良いこと、どんな形であれ、自分にとってプラスになると信じていました。

そして、自分の中から「逃げる」選択を排除しました。逃げることはプラスにならないからです。

でも、今ふり返ってみると、「耐えてよかった」と思えないことが多々あります。

それは、不必要な我慢だったんだと思います。

プラスより、自分の心身を削るマイナスが大きくなってしまって、我慢すればするほど、悪い方向に進む選択になっていました。

だからと言って、これまで我慢してきたことを「早く投げ出せばよかった」と言いたいわけではありません。

ただ、心身が消耗する前に、もっとできることがあったな、と反省しています。

今日はそのあたりについて考えてみます。

逃げちゃダメだと自分に鞭打つ前に私がすべきだったこと

心身が消耗してダメになるまで我慢してしまう私に足りなかったものは何か。

思いつくものを挙げてみます。

人に任せる

人に頼むことができませんでした。「これやっといて」と任せることは悪いことのように感じていました。ラクしている、サボっていると思われたくなかったからです。そして、任せられないのは、相手を信頼していなかったと言えます。

何でも一人で抱え込まない

仕事の配分が下手でした。さらに、人に頼むことができないので、自分でどんどん抱え込むことになります。

そのとき思うのは例えばこんなこと。

人にお願いするにあたって説明するのが面倒。
前に仕事を任せたけれど、中途半端で結局自分が尻拭いすることになった。余計な手間が増えた。それなら最初から自分でやってしまった方がまし。

もう少しうまく調整する努力をすべきだったし、長い目で見ることも必要でした。

できないときは「できない」と言う

大丈夫じゃないときは、「何とかします」ではなく、「大丈夫じゃない」と言うべきでした。「手伝ってもらえませんか?」「どうやったらうまくできるでしょうか」など、何らかのサインを出せば、足りない部分を補う対策が打てたはずです。

もし、無理せざるを得なかったとしても、「大丈夫じゃない」というメッセージは周りに伝わっているので、「問題なし」と思われているよりは、助けを得やすくなったのではないかと思います。

貸しを作ることで安心しようとしない

人を信用していないから、借りを作ったらつけ込まれるんじゃないか、みたいな思いがありました。

だから、率先して人が嫌がる仕事をしたり穴埋めをしたりしました。

結果、それが当たり前になって、安心も何もありませんでした。それどころか「みんな私に押しつけやがって」と恨む始末。自分の行いが現状を作り出しただけなのに。

サボれるところはサボる

力を抜いて大丈夫なところがわからず、すべて全力でやろうとしました。

全体が見えておらず、優先順位がつけられなかったからです。

目の前のことでいっぱいいっぱい。とにかく片づけなくちゃ! ではなく、まずは目の前にあるものを整理して、何が重要か目星をつけてから始めるべきでした。

完璧にやろうとしない

任された仕事は責任をもってやらなければいけない。これは当然のことです。でも、私はすべてをミスなく完璧にやろうとしていました。

まずは適当にやって、少しずつ完成に近づけていく。自分にできないところは手伝ってもらう。そういうやり方でいいのに、最初からきちんとした完成品を作ろうとしていました。

うまくできる能力があれば問題ないのですが、凡人には難しいことです。妥協も必要です。

過去の発言に固執しない

自分が過去に「これをやります」と宣言したら、絶対にそれを撤回してはいけないと思っていました。状況に応じて修正することは当たり前のことなのに。

同様に、人が「これをやります」と宣言したことを石に刻みつけた証明のように思っていました。状況に応じて変わっていくことが当たり前なのに。

さらに、「あなたがこう言ったから私はこれだけ努力しているのだ」と当てつけのように、意地でも自分の積極的な行動をゆるめようとしませんでした。

私がすべきだったのは、これらのことをきちんと伝え、話し合うことです。

嫌われることを恐れない

嫌われたくないという思いが強くて、自分の意思を通せませんでした。

「こんなこと言ったら自分勝手と思われるかな」
「空気読めないと思われるかな」
「嫌な顔されたくないな」

相手がどう思おうが、必要なことは言わなければいけません。

「嫌われたくない」と思って行動した結果、嫌われることもあるので、嫌われることもあって当然と思っておくのが適切です。

相手の気持ちをすべて汲む必要はない

相手の立場に立って考えることは大切ですが、自分の状況もしっかり把握すべきでした。相手の不安を取り除いた結果、自分に負荷がかかりすぎて破綻したら、結局周りに助けてもらわなければいけません。

糸が切れない程度に、荷物を落とさない程度に、バランスよく、一部に負荷がかからないよう配慮する必要があります。

自分がいなくても仕事は回っていく

自分がいなくなっても、代わりはいます。この世の中で、その人にしかできない仕事をしている人はごく一部。「私がやらなくては!」という考え方には、万能感や自惚れが潜んでいます。「みんなに任せてられない」という言葉からは、相手を信じない態度が読み取れます。

自分がいなくなっても仕事は回ります。

「逃げる」も一つの選択

冒頭で、「早く投げ出せばよかった」と言いたいわけではないと書きましたが、心身がボロボロになって壊れてしまいそうなときは、その場所から早く逃れるべきだと思います。

逃げるという選択は、悪いことでも恥ずかしいことでもありません。

逃げずに我慢してゼーハー息を切らすより、ちょっと一呼吸おいて状況を把握すること。

私はそれができず、いつも「どうしようどうしよう」と焦っていました。逃げ場所がないと思い込んで、追いつめられていました。そのせいで、落ち着いてやればできることも、混乱してうまくできなくなっていました。

だから、まず落ち着こう。

息ができない場所から避難する。
呼吸を整える。
自分の身の回りを整理する。
一歩一歩、慌てず、確実に進む。

「一時停止」「休む」「中止する」という選択があります。「逃げる」も選択の一つです。

今の自分にできることを精一杯やって、それでも何も変わらないなら、退散。

「逃げちゃダメだ」と自分に鞭をふるうことはプラスになりません。

逃げることは、悪いことでも恥ずかしいことでもありません。

 

【つづきます】
八方塞がりで行動を起こそうにも調整が難しい微妙なバランスの上で生じる問題と複雑な心境から

2 COMMENTS

みか

ナミさん
心に響くブログを書き続けてくださりありがとうございます。
悩んでいる時にネット検索していて何度かナミさんのブログに辿り着きました。読ませて頂くたびに救われています。
私は月経前になると鬱状態がひどくなり、会社も遅刻早退、最近は休んでしまう時もあり、休むことにも罪悪感を感じて自分を責めてしまうのですが、自分の考え方次第で自分を楽にしてあげることもできるんだなぁと、考え方の大切さを感じています。
ナミさんのブログはとても読みやすくて、面白くて、たくさん答えも頂いて、とにかくお礼をお伝えしたくてコメントさせて頂きました。本当にありがとうございます。

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