無気力のメリット:怒り狂わずにすむ

公園のベンチでぼけーっとする男女
厳しい寒さが身にしみる季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。

私は相変わらず気力の低下した日々が続いております。いや、ちょっと最近ましな日もあって、だいぶラクになってきてはいますが、根腐れしてしまった感じがあって、どうしようもないなという気分は拭えないまま、今日も何とか生きております。

どうすれば自身を良い状態にできるか。それが目下の課題で、思いつくことを試してはいるのですが、根本的な解決にはつながらず、どうしても諦めモードになってしまいます。ちょっと背伸びして、諦観モードとでも呼んでみましょうか。それにふさわしい優雅さをまといたいものです。飄々とした人にも憧れます。すてきですよね。

それはさておき、ふと思ったのですが、ここしばらく、自分は怒り狂ったことがないなと気づきました。いやまぁ怒り狂うというと大げさですが、フツフツと煮えたぎるような怒り、肩や声を震わせるような、あるいはプンスカ腹を立てるような、そういうエピソードが見当たらないなぁと。

そうは言っても、小さなイライラくらいはいくらでもあるだろうと思ったのですが、思い返してみても特に浮かびません。外に出れば、特に公共の場では、しばしば「なんなのよ、この人」とイラッとする出会いがあるものですが、最近はそういうときでも反応が鈍くなったような……。やべー人と遭遇する機会がたまたま少なかっただけでしょうか。だとしたらラッキーな日々を過ごしているわけですね。ありがたいことです。

怒りではなく悲しみとして表出されているのかなぁという気もします。怒りより悲しみの方がエネルギーの消費が少なくてすむからなのか、不快・不満の気持ちを外に表したって仕方がないという諦めから生まれたものなのか、単に抑うつによる悲しみなのか。

その答えは出ないものの、ふと思ったのですよね、怒りに震えずにすむのは、無気力のメリットかな、だとしたら、それもまたよしかなと。

怒りは大事な感情で、それを適切に表現することが必要とされる場面は多くあります。だから、怒りを感じないことが良いことだとは思いません。

ただ、感情を揺さぶられて、自身をコントロールできなくなってしまうのは問題。一時期、ジェットコースターのように感情の波が激しかったことがあって、そういうときの怒りは、あまり良いものではなかったと思います。いくら怒りの内容がまともだったとしても、健康的ではありません。魂むき出しという感じの、危なっかしくて痛々しい状態でした。

そういう状況に陥るのを回避できるのであれば、気力が低下した現状も決して悪いものではないのかなぁという慰めのような感想です。

先日、大声で怒鳴り散らすクレーマー爺を見かけ、ビビって呆れつつも「そんなエネルギーがあるのすごいな」と感心したし、いいんだか悪いんだか、いや良くはないけど、それはそれとして私は一体どうすりゃいいんだか……とむにゃむにゃ言いながら、ここに書いたようなことを漠然と思いました。

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