人の意見を素直に受け入れられないことはありませんか?
「自分の気持ちを理解してほしいなら、相手の気持ちを理解しましょう」
「いつまでも逃げていてはいけないよ」
「行動あるのみ」
痛いところを突かれて感情が高ぶったり、思うようにできない自分を情けなく思ったり……。正しい意見に押しつぶされそうになることもあるのではないでしょうか。
批判は耳が痛いものです。正しいからこそ刺さる。素直に受け入れられない。目を背けたくなる。罪悪感に耐えられない。
そんなとき、どうしたらいいのでしょうか。
溺れてるときに正しい泳ぎ方レクチャーされても、今それどころじゃないから!
混乱してわけがわからなくなっている人。調子は少し落ち着いたものの不安でいっぱいな人。
例えるなら、溺れている人、何とか浮き具につかまっている人でしょうか。
私は溺れている人を助けることができません。上手に泳げないからです。果敢に飛び込んでも、見事に溺れることでしょう。だから、レスキュー隊を呼びます。
それがすなわち、専門家に相談することだったり、相談窓口を紹介することだったりするわけです。そして、助けが来るまでの間、できることをする。ペットボトルやボールを投げ込む。声をかけることしかできない場合もあります。
岸に上がって呼吸を整えている人には?
とりあえずタオルをかけてあげよう。ケガはないか確認しよう。そばにいてあげよう。「落ち着くまで休んでなね」と声をかけてあげよう。
今ここで正しい泳ぎ方をレクチャーしたって仕方ありません。「あんなところに入るからいけないんだ」と責め立てることで心身が回復するわけでもありません。
自分にとって必要な言葉 「今!」というタイミング
溺れている人に正しい泳ぎ方を説くなんて、おかしいですよね。まずは助けましょうよって。でも、それと似たようなことは少なくないように思います。もう死ぬしかないと絶望している人に「死んではダメだ!」と叫ぶとか。
誰も反論できない“正しい答え”が必ずしも役に立つとは限らない。それを実感している人は多いのではないでしょうか。
私は自分が溺れたとき、誰に助けを求めればいいかわかりませんでした。助けてほしいのに、放っておいてほしいという思いもありました。それでもやっぱり、やりきれない気持ちを受け止めてほしいと思っていました。同時に、責められることを恐れていました。だから、否定される前に「こんな浅瀬で溺れる私は愚か者だ」と自分を責めました。
「そんなことないよ」と言ってほしかった。でも、いざ言われると居心地が悪かった。
そんな複雑な気持ちをスッキリさせてくれるものは見つかりませんでした。ゼロではないけれど、納得はできなくて……。
最近はそういう言葉を見つけやすくなっているように感じます。ネットの普及によるものでしょう。素晴らしいことです。
あるいは、私に周りを見渡せる余裕ができたからかもしれません。
何にせよ、つらい気持ちを軽くするために必要だったのは、甘くて優しい言葉でした。息が苦しくて、とにかく酸素がほしかった。
「何が正しいか」「どうしたらうまくいくか」はそのあとの話。
正しい意見や「?」はあとで考える
「どう生きるべきか」なんて他人が強要するようなことではありません。人を傷つけたり、相手の心を踏みにじるのでなければ、何をしようとその人の自由です。
だから、基本的には誰が何と言おうと気にしなくていい。自分が正しいと信じたことを大切にすればいい。私はそう考えています。
ただ、すべての人が悪人ではないし、嫌いな人が素晴らしい意見を口にすることもあります。また、多数派の意見が正しいとは限らないけれど、最適解であることは多いものです。
だから、全部シャットアウトするのはもったいない。
気持ちに余裕ができたら、少しずつ耳を傾けていきたいですね。できなくてもいい、受け入れられなくてもいい。「そういう答えもある」と知っておくだけで十分。
「正しいとわかっているけど、受け入れられない」
正しさは認識しているわけです。今はとりあえずそれを忘れないでおけばいい。あとでじっくり吟味すればいいのだから。
まずはコンディションを整えよう
混乱しているとき。
「冷静になれ」と言われて冷静になれるなら、混乱なんかしません。
とにかく今は命を守ることだけを考える。呼吸を整える。
不安や焦りを感じたときこそ、自分がそういう状態にあることを思い出したいものです。
当然のことながら、そのことを盾にしてはいけません。先の例で言うなら、「溺れた人(私)を助けるのは当然でしょ!」という態度。こういう向き合い方は、波風を立てます。
悩みの最中にいる人の「わかってはいるけどできない」という思いに対して、「それは結局わかっていないのと同じことなのだ」と言う人もいます。
なんかムカつきますね。でも、はて、私は何をわかっていて何をわかっていないのだろう? と考えると言葉にできないのです。
だから、時間をかけて整理していく。言葉にしていく。そうすれば、いま自分に必要な答えが少しずつ見えてくるはずです。
“正しい答え”
受け入れらないときは、受け入れなくていい。そのひっかかりを忘れないでおけば大丈夫。「耐えられない自分」をわずかでも感じられれば十分。
まずは呼吸を整えることが何より重要です。
休職中の時このWebページをみつけて、
以降いつもたのしみにしています(´▽`)
60%の話と、スナックなみの話がすごくすきです。
ナミさんのブログは私の言葉にできない
苦しい気持ちをす~っと軽くしてくれます。
前をむいていけるような気がします。
私は最近仕事で(相手にとって)正しい意見を
強い口調で押し付けられました。
相手の意見はきっと正しいかもしれないが、
態度や口調がいけ好かなくて、
すぐに受け入れられませんでした。
タイミングよくこの記事が更新されていて、
今はまだ受け入れられなくてもいいのかなって
気持ちがらくになりました。
昔だったらもっと自分をズタズタに責めていたと思います。
すてきな記事をありがとうございます。
いつも自分の悩み辛いこと苦しいこと、の時にこちらのサイトにつながって拝見させていただいています。私は病院にはまだ行っていません。なので自分がいまどんな状態なのかはわからないのですが、だいたいこちらに繋がるのでもしかしたらそうなのかなとも思うのですがなかなか自分の事になるとわかりません。
でもいつもブログを読ませて頂いて心が少し楽になります。
その反面、自分は違う、そうじゃないって思いも生まれるのですが、でも救われます。
誰にもわかってもらえない、わかってもらおうとも思わない、そもそも今の自分がただの甘えなのかもしれない、って思うのでなんとかやり抜けようとは思っていても最近はダメです。
縁あってとても親身になって下さる方に巡り会えていつも素敵な心温まる言葉を下さいます。その言葉さえも私は素直に受け入れられず裏をかいだりしてしまって最低です。
ただ自分の1番わかって欲しい身近な人に正論とはわかっていても言われると絶望的に感じてしまうことがあります。そうすればいいのはわかっているけどできない。。
もっと強くなればいいだけなのかもしれせん。
ただいつもココに辿り着いた時には心が救われます。いつもありがとうございます。