最近面白かったこと。
それは、「他人の愚痴を延々と聞かされる」という愚痴を延々と聞かされたこと!
人間がいかに自分を客観視するのが苦手なのかということを教えてくれているようです。「これは愚痴じゃなくて、困った人の話しているだけだからセーフ」みたいな意識なのでしょうけども。
っつって、私もここに愚痴を聞かされて云々とかって書いてますからね、あんまり偉そうなことは言えないのですね。
マウンティングもそういう構造になりがちかもしれません(関連:比較欲と向き合う『人生が整うマウンティング大全』感想)。本人が真剣であればあるほど面白さが増大します。
とはいえ、同じ愚痴を何度も聞かされるのはつらいものです。
なぜまったく同じ話を何度もするのか。不思議でたまりません。
いやもちろんプラス面があることはわかります。嫌だったことやつらかったことを話して、「大変だったね」と言ってもらえれば、気持ちが少しは楽になる。話を聞いてもらうことで、「ひとりじゃない」と安心できることもある。共感により仲間意識を育てることもできる。
ですが、その人と親しくなりたいわけでもないときに、何度も同じ話を聞かされると疲れます。
そう、私はね、愚痴を聞かされることが嫌なわけじゃないんですよ。そうではなく、同じ話を何度も何度も聞かされるのがつらい。噂話にしても自慢話にしても、変化が皆無だとつらい。
同じ話をくり返し話すことに意味はあるのでしょうか。
話している人にとっては、話すことで気持ちが少し楽になっているのかなぁ。心を労っている? 癒しの効果がある?
気持ちを整理するのって時間がかかることも多いから、そうやってその人なりに情報を整理していると捉えれば、まあそういうものなのかと納得できないこともないけれども、うーむ、うーーーむ。
いやでもそうですよね、私だって同じことをぐるぐる考えて堂々巡りになっちゃうことはあるし。それを口に出すか出さないかってだけの話なのでしょう。多分。おそらく。
つまり、くり返し吐き出される愚痴の効用は、①共感による癒しと②思考の整理……ってコト!? わァ……ァ……
話す人も聞く人も、お互い気持ちよく話せるようにできたらベストなのですが、なかなか難しいものですね。
とりあえず、しんどくなったときは、一歩引いた視点で「オッ、あそこに愚痴・噂話をリピートする生態の人がいる」と観察モードを起動しようかなと思います。
