自分で自分の境界線を引く『わたしはわたし。あなたじゃない。』感想

『わたしはわたし。あなたじゃない。』を読みました。

バウンダリーとは、自分と他人を区別するための心の境界線。自分を守りながら相手と関わる、自分がどこまで受け入れ、どこからは受け入れないかを明確にするための考え方です。

本書で取り上げられるのは、中高生が抱える人間関係の悩みや困りごと。スクールソーシャルワーカーの鴻巣麻里香さんが、それらのしんどさに寄り添い、助けになる知識や具体的な作戦を伝えています。

まず一番の感想としては、友人、家族、学校の章は読むのがしんどかった……。登場する事例の多くが、過去の痛みや居心地の悪さを思い出させるものばかり。閉鎖的な環境で、複雑な人間関係をやり過ごさなければならない子どもたち……。その苦しさが伝わってきて、読んでいるだけで消耗するような感覚がありました。

 

本書で繰り返し語られるのは、「わたしはわたし」という感覚を持つことの重要性です。自分が何をされると苦しいのか、何が嫌なのか。それを「私は」を主語にして言語化する。そうすることで、自分の防衛ラインが見えてきます。

確かに、自分にとって何が不快なのか分からなければ、境界線を引くことはできないですよね。相手に伝わるのは言葉と行動だけであり、自分の気持ちを理解してもらうには、まず自分自身がそれを認識する必要がある。こうして言葉で丁寧に説明されると、自分がそれを本当に理解できていたのか自信がなくなるな……と弱気になりつつ読み進めました。

 

また、境界線を守る方法として、「笑えないことを言われたら笑わない」という考え方も印象的でした。相手を否定したり攻撃したりするのではなく、真顔で穏やかに対応する。無理に愛想笑いをしないことも、自分を守るための大切な意思表示であるのだと。これは簡単なようでいて難しい。私自身、相手との摩擦を避けるために笑って受け流してしまうことが少なくありません。

さらに心に残ったのは、謝罪や差別についての記述。謝罪とは「そんなつもりではなかった」と弁解することではなく、自分の行動の責任を引き受けること。その指摘はゴツゴツとした石ころの形をして、私の腹にドスドスと落ちてくるようでした。そして、思いやりのある人でも差別をしてしまうことがあるという視点。大切なのは、自分を善人だと思うことではなく、自分の行動が相手にどのような影響を与えるかを考え続け、学び続けることなのでしょうね。

 

SNSの章では、子どものバウンダリーがまだ未完成であることが語られます。「わたしはわたし」の輪郭が曖昧なままでは、一人でいることに不安を感じ、誰かとのつながりに依存しやすくなる。そして近づきすぎれば苦しくなる。この指摘を読みながら、自分も子どもの頃は「NOを言えない」人間だったことを思い出しました。

当時の自分はそれを自覚していませんでした。もっと言うと「NOを言えない」のではなく「NOを言わない」のだと思っていた気がします。

子どもは、自分が「言えない」状態にあることを自覚しにくい。当時の自分は、自分の境界線を守るためにNOを言う権利があることを十分に理解していなかったのかもしれない。自分は主体的に我慢していると思っていたが、実は我慢する以外の選択肢を持てていなかったのではないか。

そんなふうに捉え直すと、なんだかちょっと切ないな……。当時の自分の窮屈さが見えてくるようです。

本人に悪気はなく、周囲だって必ずしも意地悪だったわけではありません。だからこそ子どもは環境に適応する。断らないいい子でいる、空気を読む、相手を優先する。あれは性格じゃなくて、生き延びるための適応だったのかもしれない。そう考えると「よく頑張っていたな」と労いたくなります。

そして、常時接続が当たり前になった今の子どもたちは、当時よりもさらに難しい課題に向き合っているのだろうなと想像します。

 

本書は、他者との距離の取り方を学ぶ本であると同時に、自分自身を大切にする方法を学ぶ本でもあります。

そして、表紙のイラストがこれまた秀逸なんですよね。読み終わってから改めてじっくり眺めてみると、改めてバウンダリーの大切を実感できます。

誰もが自分だけの安心空間を持つことができる。
そしてその境界線は自分で引くことができるんだよ。

そんなメッセージが伝わってくるようです。なんだかこれだけでまたグッときちゃうんだなぁ……。

境界線を引くことは冷たさではなく、自分も相手も尊重するための土台。

そのことを忘れず、人との関わり方を考えていきたいですね。

 

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