低出力で生きる:持続可能な生体管理・長期運用日記

最近ふと考えることがあります。

「どうでもいい」で生き延びてきた自分を、このまま続けていいのかという思いです。

今までは、どう生きれば壊れずに済むのかが第一でした。その次の段階は、エネルギーを失った状態でこの身体をどう稼働させるか。

でも、人間同じことを長くやっていると、何でもこなれて上手にできるようになってくるものです。

そこで感じるのが推進力の完全な低下。

内側にあるものが停滞しているのを感じます。糞詰まりです。いや、それはずっと前からそうなのですけれど、その感覚がよりはっきりと感じられるようになってきたというか。

力まないとうんこは出ないので圧力が必要、みたいな話です。いや違うか。

いずれにせよ、意味を与えないことに適応しすぎたのかもしれないと感じている今です。

 

自分としては「どうでもいい」が極まって、本当にいろんなことがどうでもよくなってしまいました。

もちろんその時々で、嫌な気持ちになったり不安になったりモヤモヤしたりすることはあります。ぐったりすることもある。でも、「どうでもいい」ですべて霧散してしまうので、問題はなくなる。

それは果たしていいことなのか否か。

死を回避できればそれでいいというスタンスをもう少し洗練させていく必要があるのかもしれません。

今の土台はあまりにも急場しのぎの雑加工すぎる、多分。

でも、それで10年やってきたんだよな~、ほんと、よくもまあここまで生きたもんだ、というのが正直な感想なのですよね。

過去の投稿を見ると、「人生どうでも飯田橋、ドブに捨てても飯田橋」とか言ってた8年前に「いい感じに開き直れてきた」と言っています、なるほど。

人生どうでも飯田橋、ドブに捨てても飯田橋(2018年8月30日)

同じ年の念頭には「どうでもいい」と言っています。

2018年のご挨拶代わりの雑談(2018年1月3日)

とはいえ、このときの自分、今よりまだエネルギーが残っている気がします。

今は本当にエネルギーが枯渇してしまって、どこかへ向かうこと全般がもうあかんのじゃないのという気配。霧散なのです。

でもまあ限られたエネルギーをどう配分していくかというところですよね。それは変わらない。自分という生体の管理人です。

珍しいスタンプを胸に、今日も消化試合(2026年1月7日)

 

それでも人生は続いていく。

死を前提にした運用から、生を前提にした運用に切り替える時期がきたということなのだとしたら、それってものすごい成長だなとも思います。

でも、これも加齢による生命力の低下って気がしているので、根本的なところは変化していないような気もします。

まあでもそれについては悲観しているわけではないので、……ってここも意味を与えない運用を続けてきた成果なのかもしれないですが、とにかく問題視はしていません。

 

維持管理の仕事は地味だけど、大事なこと。

そう、最近「地道」って言葉が好きなんですよね~。地道とは、コツコツ真面目にやること。まあ自分がそれを実践できているとは言い難いのですけれども、あり方としては非常に好ましいなと思って。

生活は続く。

自ら終わらせることが簡単ではなくなった。

衝動が足りない。

でも、双極症である身としては、衝動が高まって制御不能になっても困るから、この感じが好ましいってところはあるんだよな~。

と、そんなことを思いながら過ごす日々です。

 

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