「期待しない」
私の信条のひとつです。ついつい期待してしまうからこそ「期待しない」という信条を掲げているとも言えます。
昔に比べるといい感じになってきたと思います。でも、やっぱり「期待しない」というのは難しい。
そもそも自分が期待していると気づけないことも多いものです。特に対人関係。相手の思わぬ反応に腹を立てるなんてのはよくあること(ですよね?)。
「こうするのが常識でしょ」と言われるのが大嫌いなくせに、自分もそう思っていることがある。たとえば、挨拶しない人、お礼を言わない人を前にしたときなどに。自分にとっては当たり前、だからそれをやらない選択肢があることを思いつかない。
長い年月をかけて培われたものだから、簡単に矯正できるものじゃないんだけれど、できればフラットに物事と向き合える人になりたい。
期待しないとどんないいことがあるか。一番のメリットは、がっかりせずにすむことです。次いで、「ラッキー」と思える機会が増えること。
心の持ちようには次のようなものがあります。
1. 「○○じゃなきゃ嫌だ」
2. 「○○だったら嬉しいな、そうじゃなくても無問題」
3. 「どうせ○○じゃないだろう」
1の考え方が根底にあると、がっかりしやすい。腹を立てることも多くなるでしょう。
2の考え方、おそらくこれがバランスの取れた健康的な考え方なのかなと思います。
が、私は最初から期待しない3が気分的に一番ラクです。他人に対しても、自分に対しても、期待しない。そのほうがうまくいったとき、より嬉しくなれるし、うまくいかなくてもがっかりせずにすみます。
卑近な例を挙げると、映画を観るときもそうです。全然期待せずに観たら「普通にめちゃ面白かった」と思うことがけっこうあります。反対にワクワク胸ふくらませて観始めたら「思ったのとなんか違った」とガッカリすることもあり、そういうときは期待度が高かったんだなと気づきます。「これまでの経験からいって、きっとこれは面白いはずだ」と思うんでしょうね。期待は経験に基づいて生まれるものなのでしょうか。
期待しないことで幸せになれたエピソード、もう一つ思い出しました。みかんです。昨日食べたみかん。「これ甘くなかったよな~」と思いながら口に放り込んだら、そのみかんは甘かった。「あれ? 甘い! おいしい~」。ハッピーになれました。みかんにも個体差があるのですね。
いま書きながら思ったんですが、「期待する」というのはいいことなのかもしれないですね。対象をよきものと考えているからこそ期待できるわけですものね。
しかしながら、この世界はいいこともわるいことも両方あるので、バランスよくいかないと、「な”ん”で”な”の”!?」となってしまう。
中庸を目指しましょう。