ある日、冷蔵庫の奥の方から、謎の物体が出てきました。
本体を包む袋を開けると、そこには傷んでへにょへにょになった使いかけのエリンギの姿がありました。
私はそれを手にしたまま、しばらく佇みました。そのエリンギのしんなり具合が、自分の心情にフィットしたからです。
この、力なく、くてんとしている感じ、まさに今の私ではないか。
そう思ったら、目の前にあるエリンギが愛しく思えてきます。
と同時に、こんなになるまで放置してゴメンよと申し訳ない気持ちも。いやね、頂きものの野菜を大量に押し込んだせいで、奥に追いやられちゃって、気づけなかった。存在を忘れちゃった。ごめんなさい。
そう詫びながらお別れをすまし、再びぼんやりしました。
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こんな名言をご存じでしょうか。
シャキシャキの野菜スティックではなく、しんなりした「おひたし」みたいに暮らしたい。*1
– 髭男爵・山田ルイ53世 –
これすっごいわかるなぁ~と思って、事あるごとに思い出します。
もちろん、傷んだエリンギを手にしたときにも、この言葉が浮かびました。
シャキシャキの野菜スティックは、みずみずしくてフレッシュで素敵です。色合いも美しく、ディップなんかつけちゃったりしたら味の幅も広がるしオシャレ。画が持つ。映える。
対して、おひたしは地味。おいしいけど、目立たない。
……そう、自分はキュウリやニンジンや大根やセロリじゃなかった。すぐにしんなりするほうれん草だった。あるいは、エリンギだった。あの、使いかけのまま忘れ去られて損なわれたキノコ。……嗚呼、どう足掻いてもシャキッと歯切れの良い野菜スティックにはなれないのだ……。
しかし、ほうれん草にはほうれん草のよさがあります。味わいがあります。エリンギにはエリンギにしか出せない食感があります。
そういう他とは違う自分の持ち味があるということを理解すれば、「野菜スティックになれない自分はダメだ」と落ち込むこともなくなるでしょう。
「でも、腐って手遅れになったものはどうしようもないですよね?」と問われると答えに窮するのですが、私自身のこの腐った感じに思いを致せば、自信を持って答えられます。
「はい、どうしようもないですね!」
どうしようもないですが、日々、学びがあります。