わけもなく悲しいとき、わけもなく楽しいとき

赤毛の女の子

特にこれといった理由もないのに悲しくなってしまうことはありますか?

反対に、何かあったわけじゃないのに楽しくてヒャッハーな気分になることはありますか?

この「わけもなく悲しい」「わけもなく楽しい」って、まさに「うつ」と「躁」ですよね。ヒットエンドラーンです。

私は双極Ⅱ型障害と診断されていて、軽躁とうつをくり返す病気の治療をしましょうということになっているわけですが、ふり返ってみれば、確かに「わけもなく楽しい」状態がありました。

これが軽躁状態だったのか、自分でもよくわかりません。

だって、若いときはエネルギッシュで楽しくなりやすいじゃないですか。「箸が転んでもおかしい年ごろ」なんて言葉もあります。「私が躁なら、全員躁でしょ、バイタリティ溢れる彼らを見てごらんよ」という気持ちが以前は強かったんですよね(この発想自体がちょっとあれな気もしますが)。

でも、自分と同じような状態に見えるからといって、躁や鬱と呼べるとは限りません。軽自動車が80kmで走るのと、スポーツカーが80kmで走るのじゃあ全然違うわよねという話です。

気分の程度は境界があいまいで、定規や秤で測定することもできなければ、単純に人と比べることもできません。「今の感じはHIGHなのかLOWなのか?」自分の実績から判断しなければいけないんですよね。

で、現在のうつ気味モードと比べれば、確かにかつての私は躁モードだったのだろう、冴え冴えでだったからね、いや、うん…やっぱり周りと比べても元気すぎたかなぁ……というモヤモヤっとした答えに行き着きます。

困ったことに、ここ最近は「わけもなく悲しい」状態に陥ることが多く、いつまでも改善される様子もないので困っているのですが、解決策もなく、ただただ困り果ててヨヨヨとすすり泣くばかりです。困った困った。

「わけもなく悲しい」と思うときって、何か具体的なエピソードや悩みがあるわけではないんですよね。いや、悩みがないわけではないのですが、その悩みが悲しみを運んでくるわけではないのです。

じゃあ何が悲しいのか。わかるような気もするけれど、決定的な原因は思いつきません。ただ漠然と悲しい。悲しみっぽい何かが胸のあたりを中心に広がっていく感じで全体がスースーします。からっぽみたいなのに、何かが居座っているのか、ジリジリするときもあります。

何を見てもどこか寂しい。いつも楽しみしている本やマンガも開く気になれない。テレビはただの騒音に。文字通りの完全な無気力まではいかないけれど、積極的に何かしたいという気持ちはない。強い衝動じゃないから、自殺を実行しようとするわけじゃない。ふいに涙が出る。だけど、どこか冷静。

これこそがウツ? 何にせよ、こういうときは、さっさと眠りに就くのがよいのでしょうね。

そして、困ったさんは考えました。「わけもなく悲しいとき」があるならば、「わけもなく楽しいとき」もあるはず。

それで、冒頭の話に戻るわけですが、もし今後、楽しい瞬間に出くわしたら、その感じを覚えておこうと自分に言い聞かせました。

・わけもなく悲しいとき
・わけもなく楽しいとき

それぞれのデータが集まれば、何かヒントが見つかるかもしれない。

まあ楽しいときは、そんなこと忘れちゃいそうですけどね~。

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