「何も成し遂げていない自分には価値がない」
「私なんか全然ダメ」
そんな言葉で自分を貶めていませんか?
ダメ出しばかりしていると、自分には良いところなんか一つもないような気がしてしまいます。
そんな状態で「自分を大切にしましょう」と言われても、何をどうすればいいのかよくわからないですよね。
そこで前回紹介したのが「自尊心を手に入れる4つの方法」。心をラクにする考え方です。
前回はスルーしたのですが、そもそもこの「自尊心」という言葉、具体的にどういうことなのでしょうか?
「尊ぶ、大切にする」ということは何となくわかるけれど、説明しろと言われると難しいですよね。
というわけで、今回は「自尊心」について考えます。
調べたことや思いついたことを書き連ねたら、長くなってしまったので、結論のようなものを先にまとめておきます。
<自尊心を保つために必要なこと>
- 強さ・弱さ
- プラス面・マイナス面
- できること・できないこと
これらの両方をしっかり見据え、感情に流されず、合理的に判断する。そうすることで、心はよい状態に保たれる。
自尊心って何?漢字の由来から考える
自尊心とは何か。漢字から察するに、自らを尊ぶことですよね。もう少し言葉を付け加えるなら、自分の強さ・弱さの両方をしっかり見つめ、品格を保とうとする気持ち、といったところでしょうか。自分の強さ・弱さ云々という説明は辞書にありませんが、自分の不完全さを理解することは自らを尊ぶために必要なことだと思います。
では、尊ぶとは。尊敬する、価値あるものとして大切にすることです。
ここで、手元の漢和辞典『漢語林』で「尊」を引いてみます。すると、意味の一つにこんな説明があります。
「尊」という字は、たる(樽)や酒だるの意味があるそうな。「寸」はずんぐりした親指、「酋」は酒だるの中の酒が香りを放っている様子を表しています。さらに古い文字を見ると、両手を表す「廾(きょう)」が使われています。「酋」+「廾」、意味は「両手で酒だるをささげて、たっとぶ」です。
お酒って神事のときに使うから、神聖なイメージもあるし、「尊ぶ」という言葉にもぴったり。なるほど「尊」にはこんな意味もあるのかと納得したところで、今度は「尊」の反対、「尊卑」の「卑」を引いてみます。
すると、「卑」のページでも、酒だるが出てくるんですね。「卑」の象形文字は、取っ手のついた丸い酒だるに手をかけている形。日常使いの「たる」の意味から、転じて、(祭器に比べて)いやしいの意味を表すようになったと。
で、「尊」のページに樽(たる)の写真が載っているのですが、コレ、樽というより、ゴージャスな器なんですよね。いかにも祭事に使われていそうな器。金属の仏具っぽさもあります。お酒が注がれた祭器はすごく神聖な、清らかなイメージです。(神事仏事の厳密な区別がわかっていないので、正確にはいろいろ違うかもしれませんが)
このイメージをもって、再び冒頭の問い「自尊心とは何か」に戻ります。
自尊心とは、己の強さ・弱さの両方を見据え、品格を保とうとする気持ち。
今度は品格の「品」に注目です。この文脈の「品」は好ましく、美しい感じがします。辞書で調べてみると「品」の文字は「口」が三つ。「「口」は器物をかたどり、とりどりの個性をもつ、しなの意味を表す」とあります。
では、ここで問題です。
「尊」「卑」「品」と漢字の由来を見てきましたが、これらの共通点とは一体何でしょうか?
(シンキングタイムの音楽)
……とクイズ番組のようにメリハリをつけて進行できるといいんですけどね、なかなかうまくできないですね。
それでは、私が見つけた答えを言いますね。
「尊」「卑」「品」に共通するキーワードは「器」、入れ物です。
自尊心とか、卑下とか、品格とか、何となくわかった気で使っていますけど、これらはすべて抽象的な言葉。なので、どうしてもつかみきれないところがあります。
一方、「器」は物質です。比喩的に使われることも多いですが、お皿やコップなどの器は具体的です。手でつかむことができます。
神事に使用する祭器。
日常使いの酒だる。
どちらが良くて、どちらが悪いというものではありません。
それぞれの器に目的があって、その目的に合わせた使い方をするだけ。
できることなら、どちらも大切に使いたいですよね。
自分を卑下する心が生まれるとき
「だから何なの?」と読む人を苛立たせること必至の文章になっている気がしますが、もう少し続けさせてください。
「器」についてです。ここで、ぼんやりした例え話をします。
ひとりひとりが何らかの器を持っているとします。その器の形は人それぞれ違います。他人の器を見ていると、なかなか興味深い。そうなると、自分の器と周りの人たちの器を並べて見たくなりますよね。
「あなたの器ステキだね!」
「私の器もいい感じでしょ」
互いの器を見せ合いながらキャッキャするのは楽しそうですね。でも、そのうち「誰がすごいのか」という話になりそうです。自然に品評会が行われるようになるでしょう。
そこで生まれる「優れている器」「劣っている器」という価値。
たとえば、ピカピカの高級ブランド食器と、日常使いの百均マグカップを持っている二人がいたとして。その二つを比べたら、洗練されたデザインの高級食器が優れていると評価されそうです。
でも、使い古された日常使いの食器が劣っているのかと言えば、決してそんなことはありません。ボロボロでチープかもしれないけれど、目的をしっかり果たしている素晴らしい器です。
「あなたの器もステキだし、私の器もいい感じだよね」
そのことを忘れてしまったとき、卑しむ気持ちが生まれます。卑しむ気持ちとは「自分の器なんかみすぼらしくて価値がない」という蔑みや「どうせ私の器なんか」という卑屈さ。
反対に、どんなに使い古した器でも、愛着を持って大切に使っていたら、自分の器が価値のないものだとは思わないでしょう。
「確かに、みんなの器に比べたら冴えないけど、私の器もいい感じだよね」
これが自尊心というものなのかなーと。
自分を否定しがちな人が大切にすべきこと
というわけで、何とか「自尊心」までたどり着きました。
回り道しすぎてよくわからなくなりかけてますけど、私の中では自尊心のイメージが多少は深まった気がしています。
完全に何となくのイメージで話しているので、いろいろ見落としている部分はあると思うのですが、この感覚を持っていると納得できることが多いんですよね。
たとえば、前回書いた「自尊心を手に入れる方法」の4つめ、「自分自身をVIPのように扱う」。
VIPを待遇するときの気持ちと、祭器を両手で捧げるときの気持ちって共通するものがあると思いませんか? やることは違っても、すっごくめちゃめちゃ大切にする感じは似ていますよね。慎重というか、丁寧というか。
そういう「すっごくめちゃめちゃ大切にする感じ」で自分を扱ってあげることが大事なんだよー。あーそうかー。ってそれが前回のお話。
でも、自分を尊重することばかり大事にして、扱い方を間違えると、それはただの「うぬぼれ」になってしまいます。
「うぬぼれ」とは、自分が実力以上に優れていると思い込んで得意になること。そんな姿はあんまりカッコ良くないですね。
間違った自己認識で優越感に浸っていてはいけないし、自己卑下や劣等感に溺れてしまうのもいけない。
要はバランスが大事なのですね。ってそれが難しいんだよなーと毎度くり返すわけですけれども。
とりあえず、自分のことをダメだと思いがちな人は「卑」に偏っているので、もっと「尊」を頑張りましょう。
そんな感じですかね。
<自尊心を保つために必要なこと>
- 強さ・弱さ
- プラス面・マイナス面
- できること・できないこと
これらの両方をしっかり見据え、感情に流されず、合理的に判断する。そうすることで、心はよい状態に保たれる。
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・壊れたグラス、砕け散ったガラスは捨てるしかないのか?
ブログ更新ありがとうございます。
哲学レベル。わかったようなわからないような感じです。自信、アイデンティティー、プライドとは、違うものなのでしょうか?
なみさんのブログは、いろいろ考えさせられて勉強になります。
P.S. いやな気分よ、さようなら 古本屋で2000円もしたので買うのやめました。そのかわり吉本隆明の共同幻想論を100円で買いました。