最近、英語の歌をよく聴いています。「いっぱい聴いたらちょっとは英語に慣れるかな、苦手意識和らぐかな」という思いからです。同じ理由で、映画を選ぶときも邦画より洋画です。
そんな中、久しぶりに邦画を観ました。園子温監督の『愛のむきだし』です。面白かったです。思わず噴き出しちゃう感じ。キャストも超ベリーグッド。劇中で使われているゆらゆら帝国の楽曲もすごくよかったです。鑑賞後もゆらゆら帝国の歌が耳に残り、もっと聴きたくなりました。ので、さっそく聴いてみました。とても良いですね。
そのときはだたの確認行為という感じでした。「そうそうこれこれ~」「いいね~」という具合に。
事が起こったのはそれから数日後のことです。
「あー今日はゆらゆら帝国聴きたい気分だな~」と思って、適当にアルバムを再生しました。
はじめは何の気なしにボーッと聞き流していたのですが、何の前ぶれもなく、意味が、心像が、むわもわ~っと立ち上がってきてびっくりしました。自分の身体に音楽がドバーッと浸入してくる感じもありました。「わかる、わかるぞ…・・・!」と気持ちが高ぶりました。
いつも聴いてる英語の歌詞はほとんどわからないので、ボーカルも一つの楽器だと思って聴いています。最初はもどかしく思うこともありましたが、「言葉の意味やニュアンスがわからないからこそ純粋に音を楽しめていいのでは?!」と気づいてから「むしろこれが良い」と思うようになりました。ギターリフがかっこいいとか、このシンセのアレンジが好きとか、声がリズムが拍子がコードが調子がエトセトラ。そこに意味はありません。必要もありませんでした。
しかし! ゆらゆら帝国には意味があった……!
改めて聴いたときに衝撃を受けたんですよね。
いやもちろん、日本語の歌なら言葉を理解できるから、すべての日本語ソングには何らかの意味を見出せます。
だけど、このタイミングで、ゆらゆら帝国だったから、私は「わかる、わかるぞ…・・・!」と感じたんだと思います。
音楽の一部として放たれる言葉が意味を、感覚的なイメージを生成することを、体感として知っちゃった、森羅万象を理解するための手がかりを得ちゃったぞ、みたいなね。ヘレン・ケラーが「ワーラー(water)」を理解した瞬間のようにビビビっときた。いやまあそんな大層なもんではないのですが……ちょっと心動かされちゃったぐらいのもんでしょうか。いやでもやっぱりびっくりした。ちょっとした衝撃だった。私は揺さぶられましたです。
英語の曲は何を言っているかわからない部分が多いから、メロディやハーモニーから立ちあがるイメージを楽しむだけ。そんなふうだからいつもぼやぼやしています。言葉にできないので、明確にならない。どうしてもぼやけてしまう。はっきりと理解できない。
それに対して日本語の曲は意味がわかる。イメージ、概念、意味内容。抽象的な話でも、具体的な何かを思い浮かべられます。そして、それが私の耳に届く。音の高低・強弱・長短・音色など、物の振動が空気を伝わって聴覚で感じられる音として。
こうやって目に見えないもの同士がくっついて立ちあがってくるものに思いを致し、これすごいなー、うわー、混ざり合ってるのか溶け合ってるのかひっついているのか乗っかっているのかよくわからないけど、いま私はなんとも不思議な感覚を味わっているんだなぁー、ほあぁ~~~と感嘆のため息をもらしました。
こういう気持ちにさせてくれるのは「空洞です」のような言葉のチョイスだからだろうなと思います。ムーディと形容されそうな独特の浮遊感ある雰囲気もそういう気持ちにさせるのでしょうかね。
衝撃を受けることって最近めっきり少なくなってしまったので、今回の件はかなり嬉しかったです。
長らく死んでいた感受性が回復してきたのかもしれません(だとしたらめでたい)。