ただ生きるって難しい

大事なものを落として立ち尽くす着ぐるみバニー
どういう自分でありたいか。

これを考えることが大事という話は各所で語られていて、私もそういう理念のようなものを持っていたいなぁと思うことはあるのですけれど、実際、それを言葉にしようとしても、うまくいきません。どうもしっくりこないのですよね。

どういう自分でありたいか? 自分? どういう? それってどういう?

すぐに答えが見つからなくても、問い続けることが大事なのだとも言うから、折を見て問います。くり返し問います。だけどやっぱり答えは出ない。

そしてあるときふと気がつきました。

そもそも私は(そのような形で)在りたくなんかないんだ、と。

そうだ、そうだ、そうだった。どんな答えを出そうとも「これだ!」と思えないのは前提が(自分にとっては)適切じゃなかったから。

答えの是非はともかく自分としてはスッキリ納得。わっはっはと朗らかな気持ちになりました。めでたしめでたし。
 

と、そうは言っても、どうしてこんなことになってしまったのかと思うこともあります。けれど、それはもう仕方ありません。痛いのとか苦しいのは嫌だってだけの話。

己の加害性に刮目せよ。刮目せよってただ言いたいだけ。それはともかく、誰かや何かの犠牲の上に幸せは、いや、その存在は成り立っているのです。

天国、桃源、ユートピア。あったらいいな。皆幸せになったらいいな。みんな幸せになれるはず。なんてことはありません。そうでないならいいけれど。

それでも最近だんだんと嘘っぱちの事柄が暴かれているから、それを見ていると希望も感じます。

よくよく目を凝らさないと、いや、目を凝らしたって見えません。自分が見ているものなんか当てになりはしないのです。

容れ物に閉じ込められるのはいやだーと言って今日も駄々をこねます。浸透するというか溶け合うというか、こんなおかしな化学変化を起こしていないで、もっとシンプルにならないもんかねぇ。

と、そんなことを言っていたって仕方がないから、適応して生きるのです。生息する環境下で生きていくのに都合のよい形態、生理、行動を発達させるのです。

で、それが上手にできなくて、こんなんになっちゃたのがこの私という生物なんですけれど。そういうときは淘汰されるだけ。それだけのこと。淘汰されるまでは生命活動を続ける。それだけのこと。

 

自分がどうありたいか?

それはただ生きるだけ。

いただいたミカンを剥いて食べます。一つ一つ味わいます。

もっぱら。ひたすら。たった。わずかに。

ほかには何もないありさまで。

 

2 COMMENTS

あたま

更新ありがとうございます。
答えは、ないと思う。
ただ、あきらめては、いけないと思います。

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みっちぃ

2019年は、死にたくなる事が多々ありました。
NHK「自殺と向き合う」ウェブサイトに4回投稿しました。
ただ生きているだけで、しんどいです。

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