ブログの話です。
調子が悪くなってくると、頭が働かなくなり、文章を書けなくなります。
普段、思いついたことをちゃちゃっとメモしたり、ちょっとした空き時間に考えをぐちゃぐちゃ書いているので、メモ帳やテキストファイルを開けば、ネタはいくつもあるのですが、いざキーボードに手を置いても、うまく書けない。
無理やり手を動かし、文字を打ちこんでみても、すべてがちぐはぐ。何を言いたいのかわからない。え、何? 私は何が言いたいの? 話がズレてない? 全然違う方向にいってない? 何の話? は? 何なの? 私は何がしたいの? 私って一体何なの????? うわーーーーーーーーー(錯乱)
と、まぁこの文章の書けなさ具合が、自身の体調のバロメーターになっているとも言えるので、それはそれでよしと言いましょうか、今月に入ってからずっとそんな調子なので困ったなという話なんですけれど。
で、そうなったときに思い至るのが「死なないことが大事」ってことなのですよね。
別に死んだって構わないけれど(ブログの話ですよ?)、息が続いていることに意義がある。「私は今日も生きていますよ」とランプを点灯させておく。それがこのブログの目的であり、私のやりたいこと。「私がブログを書く理由」でも書いたじゃないか。
そうやって原点に戻ることで、落ち着きを取り戻します。「初心忘るべからず」ですね。「備えあれば憂いなし」「急がば回れ」とともに心に留めておきましょう。
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ここまでブログの話として書いてきましたが、私にとって「なぜ生きているの?」と「なぜブログをやっているの?」はほぼ同義です。
ブログは自分がやりたくて始めたものであり趣味。それに対して人生は、何か知らんが勝手に始まっていたもの。
その点において決定的に違っているので、並べることはできません。それでも自分の中では似たようなものとして捉えています。
多分私が想定しているのは「ブログ」というより「ネット上に存在する私」なんだと思います。
バーチャルな空間に存在している自分。それを消さずに生かしておく。現実世界で、肉体を伴うこの自分を消さずに生かしておくのと同じように。
なぜそうするかというと、インターネット上に残された痕跡に、過去の自分は救われたから。言葉、そして、その存在に励まされたから。時空を越えた共感です。
なんか、浪漫って感じですね。ロマンとは、「甘美な夢や冒険心をもたらす事柄」ですって。確かにそうかもしれない。
そうやって生かされたから、恩返ししている。ただの自己満足と言われたらそれまでなんですが。
ここまで思い至ると、すっかり気持ちは落ち着きます。こわばった心身もほぐれていい感じ。
そんなこんなで、定期的にこんなような内容を書いているので、今またその波がやってきたんだなとわかって便利です。
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時間と空間を越えて、私が打ちこんだこの言葉があなたに届いたのだとしたら、それってとっても素敵ですよね。
こんにちは、届いてますか?
今日もありがとう。
それでは。
また会いに来ます。
ナミさん、こんばんは。
ナミさんの言葉、届いています。それって本当に素敵な事ですね。そして安らぎを貰ったり、励まして貰ったり。
ここに訪れ始めて4、5年経ちますが、ナミさんがブログで生きていることを見つける時、感動と大きな大きな安らぎを貰います。有り難うございます。
更新ありがとうございます。
それも また よし。
のんびり生きましょう。
いつも届いていますよ。
ナミさんがいきている姿にはげまされます。生きなきゃだね(自分に向けても)
ナミさん、私にもちゃんと届いていますよ。なので「私も生き続けよう」と思えています。ナミさんのブログを読むとよく「まるで今の私の気持ちを書いてもらってるよう」と思います。そしてホッとするのです。