天気が良い日の散歩は気持ちいいですね。
ぽかぽかあたたかい太陽、青い空、流れる雲。
これらのものに包まれて過ごす時間は本当にすばらしい。
こうやって書いてしまえば、ありきたりで何の面白味もありませんが、 私は今とても満ち足りています。天気が良い日に目的もなくフラフラ歩くのってこんなに心地好いんですね。久しぶりだったので感激しました。もうね、あまりに幸せな気分になったものですから、その喜びをこうしてしたためずにはいられなくなったわけです。
でも、絶対にこの心地好さを文章に置き換えることはできないんですよね。私の表現力が乏しいことはもちろんですが、あの心地好さは実感してこそ。いくら想像力を働かせてもかないません。
風が吹いて、草木がざわざわと音を立てる。変な鳥の声も聞こえる。世界が在る。
あぁ~、なんて心地好いんだ……!
散歩はおすすめだけれども
うつ病回復のためには、体を動かすことが効果的だと言います。
これはもう間違いないことです。手軽にできる散歩は万能。うつ病に限らず、健康のために散歩やウォーキングをすすめる専門家は多い、というより、すべてにおける前提と言ってもいいかもしれません。
が、そういう習慣がないと、おっくうに感じられるものではあります。うつ症状が強いときなら尚更。体調が悪いときに無理をすると、かえって調子を崩してしまうこともあります。
そういったことを考えると、「散歩をしましょう!」とおすすめする気にはなりません。いや、回復のためにすべきことを聞かれたら、散歩は答えの一つに入ります。でも、別に絶対やらなきゃいけないものではないから、しんどいときは休んでなよと思います。弱った心身に鞭打って頑張らなくても、調子が落ち着けば自然に「やろうかな」と思えるときが来るから大丈夫よ、って。
というのも、私はそうやって提案されるたびに「あぁ、めんどくさい」と思ってゲンナリすることが多かったんですね。で、ゲンナリするのと同時に「私はなんて怠惰な人間なんだ」と落ち込む。気力を失う。体も重くなる。悪循環。
あるいは、我を失うほどに焦っているとき。「何かしなければ!」と思って体を動かそうとするも、体力がなくてすぐにバテる。にもかかわらず、「のんきに散歩なんかしてる場合じゃない!」と気ばかりが焦って暴走する。結果、うまくいかない。「私はダメ人間」。チーーーン。
すべては落ち込みに通ずる。実に難儀な思考回路でございます。
まぁ、そんなわけで、こういう状態に陥るくらいなら、最初から何もせずポケーっとしてた方がましだわなとよく思ったわけです。
「気楽に」それが幸せの秘訣
何をするにも、「やってみようかな」と思えたときにやるのが一番。
私がそれを実感するのが散歩。気が向いてタラタラ~っと歩いてみたとき、幸せを感じやすい気がします。
毎日のウォーキングを習慣にしていたときもありましたが、そのときの感覚とは違うんですよね。健康のためにやるウォーキングはノルマをこなすようなところがあって、どこか仕事のような義務感があります。歩いてみれば気持ちいいし、体の疲れもまた快い。なんだけど、ちょっとお気楽さに欠けるような。
フフフーンと散歩に出かけて、それが結果的に毎日だった、というのがベストなんですが、そういうフフフーンな時間はどうしても後回しになってしまってダメですね。
ぼーっとする時間は大事。みんなもっとぼーっとした方がいいと思います。いや、ぼーっとしたくない人はしなくていいんですけど、日々の生活に疲弊しちゃってる人やいつもカリカリしている人はぼーっとすべき。
そして、心が休まったら散歩に出かける。
最高。
何に喜びを見い出すかは人それぞれ違うので、最高じゃない人もいるかもしれませんが、冒頭でも言った通り、私は散歩をしてこの上ない幸せに浸れました。この感覚を忘れず、またぼんやりする時間を設けようと思います。多分すぐに忘れるんですけど、「散歩は幸せ」という情報は脳内にインプットされました。
自分の喜びを知ること。
喜びを再現すること。
しんどくなったときこそ必要なことなのかなぁと思います。それさえもする気になれないときは、多分エネルギー切れなので、ゆっくり休んで充電しましょう。
気楽にやるのが一番です。
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ナミさん、こんにちは。
わかりますわかります…!
わたしもついこないだ、すごく幸せな気持ちになったときがありました。
真っ昼間に温泉につかったときです。
気持ちよくて、幸せで、とっても贅沢な時間で、あー生きててよかった、と思いました。
『何をするにも、「やってみようかな」と思えたときにやるのが一番。』
この言葉、ずーんときました。ネバネバ思考で苦しんだときに思い出したいです。
ナミさん、今年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。