桜の開花が発表される季節になりました。
春の訪れを手放しに喜べないのは私だけでしょうか。
私が思い出すのは、うつ症状がひどくて何を見ても悲観的だったときのこと。
新入学、新生活、新入社員のキラキラまぶしいイメージ。
花見の宴に興じる浮かれ気味の人々。
そんな光景を見るたびに、自分だけ取り残されたような気がしたものです。
そして、うつ症状のせいかわかりませんが、桜をまったく美しいと思えなくなりました。それどころか、見るのも嫌になって。
日本人が愛する桜を美しいと思えない自分は寂しい人間だと思いました。
満開の桜の狂気
桜を見て陰鬱な気分になったとき、よりどころにしていた作品があります。
坂口安吾の『桜の森の満開の下』です。
この物語の主人公は残忍な山賊。そんな男でも桜の森には恐怖を感じていました。
こんな描写があります。
けれども男は不安でした。どういう不安だか、なぜ、不安だか、何が、不安だか、彼には分らぬのです。
これは男が美しい女を見たときの感覚なのですが、それが満開の桜の森を通るときに似ていると気付くのです。
私もその気持ちがわかる気がしました。美しいもの、輝かしいもの、喜ばしいものに対して常に不安を感じていたから。
満開の桜が人を狂わすということにもなぜか安心感を抱きました。
さらに、読み進めていくと生々しい描写が続きます。
男が女房にした女が「首遊び」をする場面。「首」というのは人間の生首。それでお人形遊びのようなことをするんですが、これがまぁ、臭う臭う。
そのグロテスクさに「うえぇ~」となりながらも、自分たち人間がやっていることもこれと変わらないんじゃないだろうか、などとリアリティを感じたりして。
そうして、桜の美しさがより一層引き立ちます。
日本人が愛する桜の美しさを怖いと感じる自分は感性が磨かれたと思いました。
悩むのはつらいけど尊いこと
そして、今。
桜を見て、「キレイだねぇ~」と素直に言える自分がいます。
それでもやはり、何とも言えない切ない気持ちが一緒についてきます。
散った桜を、社会に適応できなかった自分と重ね合わせて嘆いていたあの頃。
実におセンチです。
でも、こうして、桜を見て「美しい」以外の感覚を持てるのは良いことだと思います。心がより豊かになったと言ったらいいでしょうか。
最近読んだ姜尚中さんの本に、「二度生まれ」という言葉がありました。これは、アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズの言葉。
姜さんはこう解説しています。
平たく言うと、人は生死の境をさまようほど心を病み抜いたときに、はじめてそれを突き抜けた境涯に達し、世界の新しい価値とか、それまでとは異なる人生の意味といったものをつかむことができるというのです。
(『続・悩む力』より)
死にたいほどに悩み苦しんでいるとき、「悩むことで人は成長できる」「痛みを知ることで優しくなれる」みたいな言葉は慰めにもなりませんでしたが、今なら「そうだね」と言えます。
そして思うのは、「こんな考え方ダメだよね」と悩んでいる人に、「この人なら話しても大丈夫」と思ってもらえる相手になりたいということ。
ありのままを、そのままに。
いつか桜の木の下で分かち合えたらいいですね。
<書籍紹介>
坂口安吾 『桜の森の満開の下』(1947年)
▼青空文庫で全文が読めます。
坂口安吾 『桜の森の満開の下』
姜尚中 『続・悩む力』(2012年)
ナミさん、お久しぶりです。
私も病んでから、桜が辛いシーズンを2回過ごしました。
でも、今年は辛くありません。
時間はかかった(かかっている)けれど、回復を実感できるひとつの目安かな〜なんて思ったりします。
まだ梅しか見てないので、ゆっくり桜も見れるといいなと思います。
>めみさん
お久しぶりです。コメントありがとうございます。
「辛くない」というのは素晴らしいですよね。めみさんが順調に回復に向かわれているようで何よりです。
そして、桜がつらかったのは私だけじゃないと知って、ちょっと安心。めみさんがおっしゃる通り、これは結構わかりやすい目安かもしれないですね。うつ病あるある、かな?
お互い、春をのんびり楽しめたらいいですね。
先日はありがとうございました。
桜が怖いと思う方が他にもいらして安心しました。
近頃暖かくなってきて、日差しも眩しく、とても落ち着かない日々が続いています。
昨日、もうすぐ満開になるであろう桜並木の下を散歩していると、この木がすべて花をつけることを想像したらゾッとしたのです。
そんな事を思う自分に悲しく、そして誰にも言えない恐怖感に刈られますます焦燥しました。
嘘だ、桜は綺麗だと自分に聞かせても、恐怖でしかありませんでした。
明日はまた朝から晴れ…毎日憂鬱です。暗闇に籠っていたいけど、春の明るさがそうさせない。
私こんなに様子が悪いんだ…
>はなさん
コメントありがとうございます。
わかります。調子がすぐれないときに感じる桜の狂気は何とも言い難い怖さがありますよね。はなさんと同じように、私もそんなふうに思う自分は悲しい人間だと思っていました。
桜だけでなく「希望」につながるような明るいイメージは堪えますよね。周囲と自分の状況の落差に気付いて泣きたくなったり。
今はなさんが抱えている苦しみは深く、大きな痛みを伴うものなのだろうと思います。つらいですね……。はなさんのお気持ちを想像すると胸が痛みます。
私は、症状がひどくて何もできなかったとき「今、私は冬眠中」とイメージして、外界の明るさをシャットダウンしていました。当時は罪悪感しかありませんでしたが、今振り返ると、そうやって自分の殻に籠って眠り続けることも必要なんだな~と感じます。
今とてもつらい時期だとは思いますが、あまりご自分を責めず、ゆっくり身体を休めてくださいね。
こんにちは。こちらのblogでは初めまして。以前のblogにコメントしたことがある者です。いつも拝見しています。
桜が怖い、春が怖いのは私だけじゃなかったのですね。私は病にかかるまえも、病にかかってからは尚、よくなり始めている今現在も春や桜は苦手です。ぽかぽか陽気で桜も満開、それをみて穏やかな気持ちになりながらもモヤモヤや漠然とした不安感、世間では新しい事が動き出すということで謎の劣等感などさまざまな感情が沸き起こります。今年は弟が新社会人なので尚更なのかもしれません。寂しくなるんです。
でもそんな感情達ひっくるめて春や桜を楽しめたらなんて良いんだろうとモヤモヤしながらも考えるここ数日です。
またblog覗かせていただきますね!
>甘菜さん
コメントありがとうございます。旧ブログでいただいた甘菜さんのコメントも嬉しくて励まされたことを覚えています。こちらのブログも見てくださっているとのことで、何だか嬉し恥ずかしでございます。
そうなんですよね、桜が苦手という方は結構いらっしゃるみたいで。桜にはさまざまな気持ちを引き出す魔力のようなものがあるのかもしれませんね。すぐに散ってしまう儚さもまた寂しさを誘います。「謎の劣等感」というのもすごくわかります。取り残されたような気がして焦ったり不安になったり……。甘菜さんがおっしゃる通り、いろいろな感情を受け入れながら過ごしていけたらいいですよね。
花冷えの時節柄、ご自愛くださいませ。甘菜さんに心地良い日々が訪れることを祈っています。