レディオヘッド「Just」PVとアルバム『Kid A』に関する雑感

倒れた長い髪の人

この写真を見た瞬間、レディオヘッドのプロモーションビデオを思い出しました。こんなふうに人が倒れている「Just」のPV。

同時に、自分がうつ状態で伏せっていたときのことも思い出しました。

悲愴感や揺れ動く感情がない。
無ともちょっと違う。
茫然というのが近いだろうか。
停止したといったところか。
「まるで死んだように」という形容が似合うかもしれない……。

乾いた土地に倒れた人。何か惹かれるものがありました。

そこから考えたことをつらつら書いていきます。主にレディオヘッド関連の話になる予定です。

「Just」PVのわからなさと、椎名林檎の「幸福論」

イギリスの5人組ロックバンド「レディオヘッド (Radiohead)」。

冒頭で挙げた「Just」は、レディオヘッドの2thアルバム『ザ・ベンズ (The Bends)』収録曲です。

で、この「Just」のPVは、名作と評されているのだとか。

私も好きです。曲もストーリーも引きつけられるものがあります。

でも、意味がわかりません。

PVに登場する一人のおじさんが、歩道の真ん中で横たわるんですけど、なぜそうするのかわからない。

で、今からPVの内容と一つの解釈(正解は知りません)を紹介しますので、未見の方、ネタバレ的なのは嫌よという方は、先にPVをご覧ください。

先に人の意見を聞いてしまうと、どうしてもそれに引っぱられてしまいますもんね。

 

 

・・・・・・

では、続けます。

横たわるおじさんの周りには、道行く人がわらわらと集まってきます。そりゃそうですよね、歩道の真ん中に人が倒れていたら「どうしたの?」って心配になります。バイクで通りかかった警官もやってきます。

でも、おじさんは「Don’t touch me!」。

そして、なんやかんやの問答の末、おじさんはついに真実を口にします。

「       」

すると、周りの人たちも皆、倒れてしまうのです(倒れるというより横たわる?)。

おじさんは一体何と言ったのか?

口の動きに目を凝らしても、結局わかりません。

レディオヘッドもこれに関しては明言していないそうで。

私好みの解釈は、ストーリー全体が比喩で、メタ的に表現しているんじゃないかというもの。

つまり、倒れているおじさんがレディオヘッドで、街ゆく人が一般大衆。

「どうしたの?」
「大丈夫?」
「頭おかしい」
「なんで?」
「教えて?」

これらは、実験的な音楽を作り続けるレディオヘッドに向けられる視線なのではないか? と。(「Just」発表時はまだ実験的という感じではないですが……)

んで、レディオヘッドファンとして知られる椎名林檎も大きな影響を受けているらしく、「幸福論」のPVがまさに「Just」のそれです。PVでは、椎名林檎本人がアスファルトに横たわって歌っているのですが、これってつまりレディオヘッドの「呪文」かけられちゃったってこと? 解釈として一応つじつまが合うぞ? なんて考えたりしながら。

でも、やっぱりわかんないですね。「Just」も「幸福論」も真意はわからない。

「なんかいいかなーと思ってやってみた」みたいなノリのような気もします。

才能がある人って往々にしてそういう傾向ありませんか?

論理的な思考や系統立てた言葉でバキバキに考えなくても、無意識的にわかっちゃうというか。考えなくてもできちゃうの。つまり才能。

いや、もちろん最高の音楽を作るための方法論とか商売として成り立たせるための戦略とかは考え尽くしていると思うんですけど、もっと根源的なところで。ねぇ?

まーとにかくわからない。

んで、何となく明確な解釈をしたら負けなような気がして、レディオヘッドに関しては、ただ「わからん」とだけ思っています。

意外とわからないものをわからないままにしておくっていうのは大事なんじゃないかと最近思っているものですから。

私は明確な答えを出そうと躍起になる傾向があるので、バランスが取れてきたかもしれないね、という落としどころです。

混沌世界の浮遊感が最高な『Kid A』

せっかくなので、「Just」の歌詞についても少し見ていこうと思ったのですが、先ほど言ったとおり、私の中でレディオヘッドの音楽は「解釈したら負け」みたいな意識があるので、あまりちゃんと吟味したことがありません。

というか単純に英語わかんないからってところが大きいんですけどね。あっはっは。

それに抽象的だから、やっぱり「Don’t think. Feel!」なのかなーって。

私はそういう抽象的なものが好きなもんですから、それで問題ないし、聴いてて気持ちいいし、まいっか、ってな感じで。
 

レディオヘッドに対するこの姿勢ができあがったのは、最初に買ったアルバムが『Kid A』だったからじゃないかと思っています。

あれはね、ブックレットが最高なんですよね、混沌としていて。

もちろん音楽も。混沌の中から見いだされたポップさの欠片の集積みたいな感じ。

いや、ポップって言葉はちょっと馴染まないところがありますが、ライブ映像見たときに、ポップって言葉が浮かんだんですよね。意外にポップ、比較的ポップ、実はポップなど。あんまり安易に言うとファンの皆様に怒られてしまうかもしれませんが……。

ほんで、『Kid A』には英語の歌詞が書かれてないんですよね。

「歌詞はアーティストの意向により割愛させて頂きます」って。

うおぉぉぉーい! となりましたけど、「あーそういうことね、トム・ヨークの歌声も楽器の一つにすぎないってことね」と理解のあるフリをしてね。

仕方ないから、和訳を見ましたけど、どうなんですかね、わかりません。だって詩の扱いって難しいよ?

というわけで、あまり厳密な歌詞にはこだわらず、「キッドA」にあった言葉+頭に浮かんだイメージから、このアルバムを別名「串刺しですの頭」と呼んでいます。

なんで語順がひっくり返ってるのかは自分でもよくわかりません。

鬱な気分のやり過ごし方の一つとして

レディオヘッドは鬱な気分なときに聴く人が多いと聞きます。

それ、すごい、わかる。

『Kid A』のブックレットとか、完全にね。

私が精神的にも身体的にもおかしかったとき見ていた風景がまさにブックレットに表現されたそれでした。プラス、そこに赤黒いピリピリジリジリしたものが乗っかったみたいな。

草間彌生作品のおどろおどろしさにも通じるものがあります。ぱっと見は全然違うんだけど。

『Kid A』の初期生産分のアルバムには隠しブックレットがあったらしいんですけど、それもめちゃ気になります。
 

……って、「Just」の話しようとしたはずが、完全に『Kid A』になっちゃいました。

しょうがないですね、好きだから。

どうやら私は不穏さとか浮遊感のあるものが好みみたいです。

鬱な気分のやり過ごし方の一つとして、「レディオヘッドを聴いて徹底的に落ち込む」というのはアリだと思います。

きっとカタルシスを得られるはず。

で、好きだなんだと言いながら、5thアルバム以降はちゃんと通して聴いたことがないので、これから時間を見つけて聴いていきたいなーと思っているところです。

 

<本日の作品>
Radiohead “Just” (1995) The Bends

 
Radiohead (2000) Kid A

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